今朝の放送内容 12月13日(火)
2022年12月13日(火)
今朝の放送内容
今朝の主なニュース・スポーツ情報
●安全保障3文書、自公で合意 「反撃能力」の保有を盛り込む
●NISA 生涯の投資上限額1800万円で最終調整
●千歳市で住宅火災 遺体発見
●豊平区月寒の漏水で道路が陥没 復旧作業終了
●苫小牧軽乗用車暴走 懲役6年の判決
●白老町と伊達市で「橋名板」盗難被害
●東区納骨堂閉鎖問題 一時開館へ
●道内感染者2280人 全国6万人
●小樽スクールバス元運転手 傷害の疑いで書類送検
●「今年の漢字」は「戦」 ウクライナ侵攻やスポーツの熱戦・挑戦
●日本スポーツ賞 大賞は高木美帆選手 北京五輪でメダル4個獲得
●サッカーW杯 あす午前4時から準決勝 アルゼンチンVSクロアチア
●ボクシング4団体世界バンタム級王者へ 井上尚弥選手が前日軽量を無事クリア
●米女子ゴルフ最終予選会 勝みなみ選手5位、西村優奈選手24位で来季出場権獲得
●ファイターズ 近藤健介選手がFAでソフトバンク移籍 あす入団会見
●コンサドーレ 深井一希選手がケガから復活誓う
●NISA 生涯の投資上限額1800万円で最終調整
●千歳市で住宅火災 遺体発見
●豊平区月寒の漏水で道路が陥没 復旧作業終了
●苫小牧軽乗用車暴走 懲役6年の判決
●白老町と伊達市で「橋名板」盗難被害
●東区納骨堂閉鎖問題 一時開館へ
●道内感染者2280人 全国6万人
●小樽スクールバス元運転手 傷害の疑いで書類送検
●「今年の漢字」は「戦」 ウクライナ侵攻やスポーツの熱戦・挑戦
●日本スポーツ賞 大賞は高木美帆選手 北京五輪でメダル4個獲得
●サッカーW杯 あす午前4時から準決勝 アルゼンチンVSクロアチア
●ボクシング4団体世界バンタム級王者へ 井上尚弥選手が前日軽量を無事クリア
●米女子ゴルフ最終予選会 勝みなみ選手5位、西村優奈選手24位で来季出場権獲得
●ファイターズ 近藤健介選手がFAでソフトバンク移籍 あす入団会見
●コンサドーレ 深井一希選手がケガから復活誓う
今朝の選曲
【5時台】
M「夢伝説/スターダスト・レビュー」
【6時台】
M「プラットホーム/ Salyu 」
【7時台】
M「レイトリ—/スティーヴィー・ワンダー」
M「夢伝説/スターダスト・レビュー」
【6時台】
M「プラットホーム/ Salyu 」
【7時台】
M「レイトリ—/スティーヴィー・ワンダー」
あさミミ!アラカルト~八幡淳のスポーツプレゼンス
八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は 「 MLB2人目のアフリカ系ルーツプレイヤー 」
今シーズンも日本のプロ野球にはたくさんの外国人選手が来日し活躍しました。
そんな外国人選手がつける背番号と言えば・・42、44、49あたりが多く見られます。
これらの番号は外国人選手、特にアメリカ出身のアフリカ系ルーツ選手、
いわゆる黒人選手にはむしろ好まれる番号だということです。
中でも42はいわゆる黒人選手にとっては誉れ高い番号なんです。
それは「ジャッキー・ロビンソン」という先駆者がつけていた番号だったからです。
ジャッキー・ロビンソンさんは1947年に黒人選手として初めてメジャーリーグデビューし、
その年に新人王、1949年には首位打者も獲得。
そのロビンソンさんがつけていた番号42はメジャーでは、
その功績をたたえるために全球団の永久欠番に指定されています。
つまり、メジャーリーグでは42番をつけることができないという訳です。
当然憧れの番号になることもある42は
日本の選手ではつける人が少ないんですから好まれるのもうなずけます。
そんなアフリカ系ルーツ選手の地位を一気に上げたロビンソンは有名ですが、
そのロビンソンに次ぐ選手がいます。
ご存命なら13日に99歳の誕生日という「ラリー・ドビー」さんです。
本名ローレンス・ユージン・ドビー。
1923年12月13日生まれ、アメリカサウスカロライナ州出身のプロ野球選手で現役時代は外野手でした。
学生時代からスポーツ万能で、サッカー、バスケットボール、
野球の3つのスポーツのスターだったそうです。
サッカーなどでは複数の州選手権で勝利する原動力となるスターでした。
ただ、ある時勝利したチームがフロリダで試合に出場する権利を得ましたが、
主催者がドビーさんの肌の色を理由に出場を拒否。
抗議の為にチームは試合をボイコットしたこともあったそうです。
夏の間、ドビーさんはセミプロの野球とバスケットボール選手として、
特に野球で目覚ましい活躍をしていました。
卒業後は、ロングアイランド大学でスポーツ奨学金を得て、
バスケットボールプレイヤーとなります。
更に、1942年から1944年、および1946年から1947年シーズン途中まで
ニグロリーグ・ニューアーク・イーグルスでプレーをします。
ここで、かつてアメリカにあったニグロリーグをご紹介しなければいけません。
かつて、アメリカには激しい黒人差別の歴史がありました。
いわゆる白人とは住む地域も別、バスも白人は前方、黒人は後方、
ですから野球のリーグもメジャーリーグは白人選手のみ。
その代わり黒人選手がプレーしていたのがこの「ニグロリーグ」だったわけです。
しかし、先のジャッキーロビンソンさんが活躍したことにより
アフリカ系アメリカ人選手にも門戸が開かれたのが1947年。
ドビーさんはその1947年7月2日にクリーブランド・インディアンス(今年からはガーディアンズ)と契約、
7月5日にMLBデビューを果たします。
この年の4月15日、既にデビューしていたジャッキー・ロビンソンさんに次いで
黒人としては2人目のMLB選手で、アメリカンリーグではドビーさんが初めてとなります。
デビュー後のドビーさんはメジャー2年目となる1948年のワールドシリーズで
第4戦では決勝本塁打を放ち、勝利投手の白人だったスティーブ・グローメクとロッカーで
カメラマンから共に抱き合う姿を写したいと言われ、すんなりと応じたその写真は、
当時はまだ人種間の確執があった時代だけに貴重な1枚として残っているそうです。
そして1952年には年間32本の本塁打を打ち、黒人選手初の本塁打王のタイトルを獲得。
更に1954年には本塁打王と打点王のタイトルを獲得し二冠王。
アメリカンリーグのMVP投票ではヨギ・ベラさんに次ぐ票を集めました。
その後1956年にシカゴ・ホワイトソックスへの移籍を経て、
1958年に再びインディアンスに復帰。その後、1959年にデトロイト・タイガースに移籍、
シーズン途中にホワイトソックスに移籍と、晩年は移籍を繰り返し、
1959年限りで現役を引退しました。
現役引退後は、酒類の小売業者として働いていたドビーさん、
引退から3年たった1962年意外な形での現役復帰復のチャンスと巡り合います。
実は1962年、この年日本のプロ野球中日ドラゴンズの濃人渉監督は次々とずっとチームにいた、
いわゆる「生え抜き選手」を他球団に放出してチームを刷新しようと考えていました。
中日の地元名古屋では総すかん状態、そこで目玉として招かれたのが
メジャーリーグ黒人初の投手ドン・ニューカム選手、そしてドビーさんの獲得というものでした。
3年ぶりの現役復帰となったドビーさん、活躍が期待されたものの、
さすがに年齢的な衰えは隠せず72試合の出場で打率.225ホームラン10本打点35の成績しか残せず、
1シーズン限りで退団となってしまいました。
しかし、この2人こそ!日本プロ野球史上初めての「元メジャーリーガー」の選手だったのです。
そんななかなかあり得ない形での日本球界を経た後、
本当の意味での引退後はモントリオール・エクスポズ、インディアンス、ホワイトソックスのコーチを歴任。
ホワイトソックスのコーチ時代の1978年シーズン途中にボブ・レモンに代わり、
フランク・ロビンソンに次いで黒人としては2人目のMLB監督に就任しますが、
監督としてはわずか1シーズンのみの采配でした。
そして、ドビーさんのこれら功績が認められ、クリーブランド・インディアンス
(今年からはガーディアンズ)在籍時、背負っていた背番号14番は
1994年にインディアンスが新球場ジェイコブス・フィールドをオープンした時のセレモニーで、
永久欠番に指定されました。
その後1998年、ベテランズ委員会の選考によりアメリカ野球殿堂入りを果たしますが、
日本のプロ野球でプレー経験がある選手としては史上初めての殿堂入りということにもなりました。
更に、現在まで日本プロ野球でプレーした選手でアメリカの野球殿堂入りしてるのも
ラリー・ドビーさんのみです。
様々立ちはだかる壁を壊し続け、後輩たちの為に未来の扉をこじ開け続けてきた
ラリー・ドビーさん。2003年6月18日、癌のためニュージャージー州モントクレアの自宅にて死去されましたが、
その存在は日米の野球界では欠かせない存在であったと言えるでしょう。
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は 「 MLB2人目のアフリカ系ルーツプレイヤー 」
今シーズンも日本のプロ野球にはたくさんの外国人選手が来日し活躍しました。
そんな外国人選手がつける背番号と言えば・・42、44、49あたりが多く見られます。
これらの番号は外国人選手、特にアメリカ出身のアフリカ系ルーツ選手、
いわゆる黒人選手にはむしろ好まれる番号だということです。
中でも42はいわゆる黒人選手にとっては誉れ高い番号なんです。
それは「ジャッキー・ロビンソン」という先駆者がつけていた番号だったからです。
ジャッキー・ロビンソンさんは1947年に黒人選手として初めてメジャーリーグデビューし、
その年に新人王、1949年には首位打者も獲得。
そのロビンソンさんがつけていた番号42はメジャーでは、
その功績をたたえるために全球団の永久欠番に指定されています。
つまり、メジャーリーグでは42番をつけることができないという訳です。
当然憧れの番号になることもある42は
日本の選手ではつける人が少ないんですから好まれるのもうなずけます。
そんなアフリカ系ルーツ選手の地位を一気に上げたロビンソンは有名ですが、
そのロビンソンに次ぐ選手がいます。
ご存命なら13日に99歳の誕生日という「ラリー・ドビー」さんです。
本名ローレンス・ユージン・ドビー。
1923年12月13日生まれ、アメリカサウスカロライナ州出身のプロ野球選手で現役時代は外野手でした。
学生時代からスポーツ万能で、サッカー、バスケットボール、
野球の3つのスポーツのスターだったそうです。
サッカーなどでは複数の州選手権で勝利する原動力となるスターでした。
ただ、ある時勝利したチームがフロリダで試合に出場する権利を得ましたが、
主催者がドビーさんの肌の色を理由に出場を拒否。
抗議の為にチームは試合をボイコットしたこともあったそうです。
夏の間、ドビーさんはセミプロの野球とバスケットボール選手として、
特に野球で目覚ましい活躍をしていました。
卒業後は、ロングアイランド大学でスポーツ奨学金を得て、
バスケットボールプレイヤーとなります。
更に、1942年から1944年、および1946年から1947年シーズン途中まで
ニグロリーグ・ニューアーク・イーグルスでプレーをします。
ここで、かつてアメリカにあったニグロリーグをご紹介しなければいけません。
かつて、アメリカには激しい黒人差別の歴史がありました。
いわゆる白人とは住む地域も別、バスも白人は前方、黒人は後方、
ですから野球のリーグもメジャーリーグは白人選手のみ。
その代わり黒人選手がプレーしていたのがこの「ニグロリーグ」だったわけです。
しかし、先のジャッキーロビンソンさんが活躍したことにより
アフリカ系アメリカ人選手にも門戸が開かれたのが1947年。
ドビーさんはその1947年7月2日にクリーブランド・インディアンス(今年からはガーディアンズ)と契約、
7月5日にMLBデビューを果たします。
この年の4月15日、既にデビューしていたジャッキー・ロビンソンさんに次いで
黒人としては2人目のMLB選手で、アメリカンリーグではドビーさんが初めてとなります。
デビュー後のドビーさんはメジャー2年目となる1948年のワールドシリーズで
第4戦では決勝本塁打を放ち、勝利投手の白人だったスティーブ・グローメクとロッカーで
カメラマンから共に抱き合う姿を写したいと言われ、すんなりと応じたその写真は、
当時はまだ人種間の確執があった時代だけに貴重な1枚として残っているそうです。
そして1952年には年間32本の本塁打を打ち、黒人選手初の本塁打王のタイトルを獲得。
更に1954年には本塁打王と打点王のタイトルを獲得し二冠王。
アメリカンリーグのMVP投票ではヨギ・ベラさんに次ぐ票を集めました。
その後1956年にシカゴ・ホワイトソックスへの移籍を経て、
1958年に再びインディアンスに復帰。その後、1959年にデトロイト・タイガースに移籍、
シーズン途中にホワイトソックスに移籍と、晩年は移籍を繰り返し、
1959年限りで現役を引退しました。
現役引退後は、酒類の小売業者として働いていたドビーさん、
引退から3年たった1962年意外な形での現役復帰復のチャンスと巡り合います。
実は1962年、この年日本のプロ野球中日ドラゴンズの濃人渉監督は次々とずっとチームにいた、
いわゆる「生え抜き選手」を他球団に放出してチームを刷新しようと考えていました。
中日の地元名古屋では総すかん状態、そこで目玉として招かれたのが
メジャーリーグ黒人初の投手ドン・ニューカム選手、そしてドビーさんの獲得というものでした。
3年ぶりの現役復帰となったドビーさん、活躍が期待されたものの、
さすがに年齢的な衰えは隠せず72試合の出場で打率.225ホームラン10本打点35の成績しか残せず、
1シーズン限りで退団となってしまいました。
しかし、この2人こそ!日本プロ野球史上初めての「元メジャーリーガー」の選手だったのです。
そんななかなかあり得ない形での日本球界を経た後、
本当の意味での引退後はモントリオール・エクスポズ、インディアンス、ホワイトソックスのコーチを歴任。
ホワイトソックスのコーチ時代の1978年シーズン途中にボブ・レモンに代わり、
フランク・ロビンソンに次いで黒人としては2人目のMLB監督に就任しますが、
監督としてはわずか1シーズンのみの采配でした。
そして、ドビーさんのこれら功績が認められ、クリーブランド・インディアンス
(今年からはガーディアンズ)在籍時、背負っていた背番号14番は
1994年にインディアンスが新球場ジェイコブス・フィールドをオープンした時のセレモニーで、
永久欠番に指定されました。
その後1998年、ベテランズ委員会の選考によりアメリカ野球殿堂入りを果たしますが、
日本のプロ野球でプレー経験がある選手としては史上初めての殿堂入りということにもなりました。
更に、現在まで日本プロ野球でプレーした選手でアメリカの野球殿堂入りしてるのも
ラリー・ドビーさんのみです。
様々立ちはだかる壁を壊し続け、後輩たちの為に未来の扉をこじ開け続けてきた
ラリー・ドビーさん。2003年6月18日、癌のためニュージャージー州モントクレアの自宅にて死去されましたが、
その存在は日米の野球界では欠かせない存在であったと言えるでしょう。
毎朝6時半頃は「あさミミ!アラカルト」
月曜日は油野純帆ANが担当
「ローカル情報発信!あぶらのチェック」
北海道生活が2年目の油野AN。179市町村のことをもっと知りたい!という
好奇心から、その週にピッタリのご当地情報を紹介する超ローカルコーナーです。
火曜日が「八幡淳のスポーツプレゼンス」
臨場感あふれるスポーツの情報・話題・歴史を紹介していきます!
水曜日が「あさミミ☆リサーチ」!ですが、少しマイナーチェンジします。
毎週ひとつのテーマを設定。皆さんからメッセージをお寄せいただくコーナーになります。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
木曜日が「ナガイの北海道生活研究室」
永井ANがいまリスナーと共有したい「北海道の生活情報」を伝えていきます!
金曜日が「北海道応援!あやサポ」
上田あやが北海道で頑張る「ひと」にスポットライトを当て、全力応援していきます!
あさミミでは「もったいない」への取り組みを全力応援します!
北海道ライブあさミミでは、この秋からスペシャル企画始動します。
例えば、
題して「 もったいない!プラスワン! 」
去年はリスナーの皆様の「節約」を全力応援してきましたが、
今年のキーワードは「もったいない」です。
普段の生活には「もったいない」と感じる場面が数多く潜んでいます。
みんなでその「もったいない」をひとつでも多く防いで行こうではないか!
という企画です。
例えば、
・旦那が捨てようとしていた歯磨き粉、開いたらあと2回分残っていた!
・息子が使わなくなったカバン、夫がその後10年使用。まだまだ現役です!
・今まで捨てていた大根の葉っぱ。レシピを調べたらものすごい数でびっくり!
など、日常生活で感じた・共有したい「もったいない」エピソードを
あさミミまでお寄せください。
この企画をきっかけに、生活に「もったいない」をプラスしていきましょう!
メール・FAX・おハガキでお待ちしています!
メール asamimi@stv.jp FAX 011-202-7290
おハガキ 〒060-8705 STVラジオあさミミ もったいない係
※こちらも毎週の「あさミミ粗品歯ブラシ」プレゼントの抽選対象です
※こちらも毎週の「あさミミ粗品歯ブラシ」プレゼントの抽選対象です
あさミミでは今後も「もったいない」に関する様々な取り組み
ご紹介していきます!お楽しみに!