今朝の放送内容 9月20日(火)
2022年9月20日(火)
今朝の放送内容
今朝の主なニュース・スポーツ情報
●台風14号 道内土砂災害など警戒
●メキシコでM7.6の地震
●エリザベス英女王の国葬執り行われる
●道内感染者1663人 全国3万8千人
●札幌ドーム周辺でまたクマ目撃
●森町ゴーカート事故 2歳男児が死亡
●南ウクライナ原発にロシア軍が攻撃
●台湾地震 少なくとも1人が死亡
●美深町でカボチャ収穫最盛期
●羊ヶ丘展望台で「秋の味覚まつり」
●きのうの大リーグ パドレス・ダルビッシュ投手が15勝目
エンゼルス大谷選手は自己最多の通算139安打
●きのうのプロ野球結果 オリックスが3連勝
●きのうの大相撲秋場所結果 北青鵬が8連勝 一山本5勝4敗
●米女子ゴルフ・ポートランドクラシック 古江彩佳選手が3位
●テニス大坂なおみ選手 東レ・パンパシフィックオープン連覇へ会見
●ファイターズ ロッテに4-0 加藤投手が2度目完封
●レバンガ東北カップ 岩手に延長の末敗れ4位
●メキシコでM7.6の地震
●エリザベス英女王の国葬執り行われる
●道内感染者1663人 全国3万8千人
●札幌ドーム周辺でまたクマ目撃
●森町ゴーカート事故 2歳男児が死亡
●南ウクライナ原発にロシア軍が攻撃
●台湾地震 少なくとも1人が死亡
●美深町でカボチャ収穫最盛期
●羊ヶ丘展望台で「秋の味覚まつり」
●きのうの大リーグ パドレス・ダルビッシュ投手が15勝目
エンゼルス大谷選手は自己最多の通算139安打
●きのうのプロ野球結果 オリックスが3連勝
●きのうの大相撲秋場所結果 北青鵬が8連勝 一山本5勝4敗
●米女子ゴルフ・ポートランドクラシック 古江彩佳選手が3位
●テニス大坂なおみ選手 東レ・パンパシフィックオープン連覇へ会見
●ファイターズ ロッテに4-0 加藤投手が2度目完封
●レバンガ東北カップ 岩手に延長の末敗れ4位
今朝の選曲
【5時台】
M「SHOW /シュガー・ベイブ」
【6時台】
M「たしかなこと/小田和正」
【7時台】
M「エンジェルズ・ライク・ユー/マイリ—・サイラス」
M「SHOW /シュガー・ベイブ」
【6時台】
M「たしかなこと/小田和正」
【7時台】
M「エンジェルズ・ライク・ユー/マイリ—・サイラス」
あさミミ!アラカルト~八幡淳のスポーツプレゼンス
八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「 プロ野球200安打の壁 」
1994年9月20日は当時オリックスのイチローさんが
日本プロ野球初の1シーズン200本安打を達成した日です。
実は日本のプロ野球において、この200という数字は長きにわたって超えられなかった
いわゆる「壁」として君臨した数字。
野球の記録に主に用いられる記録は「数」「確率」です。
数はホームランや打点、投手の勝利数や奪三振の数。
確率はおなじみの「打率」「防御率」など、どれくらいの確率で
それがはじき出されるかを競うものです。
確率に関しては一定の水準に達すれば、あとは落とさないことを考え「休む」という選択肢がありますが、
「数」に関しては落ちない代わりに積み増していかなければ記録は生まれないので
とにかくたくさん稼ぐことが条件です。
ではこの200安打はなぜ「壁」として日本球界に君臨し続けたのでしょうか。
日本で長く年間最多安打記録としてトップだったのが1950年、
当時阪神の藤村富美男さんが記録した年間191安打。
この記録が生まれたのには理由があります。
それが1948年に登場した「ラビット(うさぎのように跳ねるの意)ボール」と言われる
従来のボールよりも飛躍的に飛距離が出るボールの採用です。
これにより、藤村さんのホームラン数は格段に増えます。
1947年までは1946年に打った5本が年間最多のホームランだった藤村さん。
導入初年度の1948年の13本、その翌年の1949年はなんと一気に46本に増えます。
「打球が飛ぶ」ということは「打球速度も速くなる」ということになります。
今まで勢いがなくなって野手にとられていた打球が、野手の間を抜ける打球となり
ヒット数も増えていくということになるわけです。
1947年までは年間最多でも132安打だった藤村さん。
導入初年度1948年は年間166安打といきなり34本積み増し、
翌1949年はさらに増えて187安打。
そして1950年には長く年間最多安打記録となる191安打を記録し、
打率も.362とし首位打者を獲得します。
しかしそこからイチローさんが記録を破るまで44年もの長い歳月がかかりました。
その謎を解く前にメジャーリーグの年間200安打はいつ達成されたのでしょうか。
実は1887年既に、カーネルスのピート・ブラウニングさんが年間220安打を記録しています。
野球というスポーツが誕生したころは、試合数は130試合を超えるほどでした。
現在のメジャーリーグは1961年から年間162試合制となっています。
143試合制のNPBよりは19試合多いので当然メジャーで「数を積み上げる」意味では
日本より200安打以上の打者が生まれる可能性は高いと言えるでしょう。
ちなみにメジャーでは歴代で100人程の打者が年間200安打以上を達成しています。
では、日本で200安打がなぜ長い間でなかったのでしょうか。
数を積み上げるにはその「機会」が多ければ多いほど有利になります。
では有利な条件とはなんでしょう?それが「打順」です。
今年ソフトバンクホークスで比較的1、2番を打つことが多かった今宮選手は
117試合出場時点で459打席立っていますが、
同じ出場試合数117試合の甲斐選手は363打席しかたっていません。
同じ出場試合数でも96打席もの差がつくのは、
甲斐選手の場合主に8、9番を打つことが多いから。
つまり、1番から始まる打順がある野球では打席が回る数は1番打者が1番多いということになります。
じゃあ、歴代の1番打者にはどうして200安打を打った選手が少ないの?というと、
それは日本の「1番打者象」によるところが多いのでは?と推測します。
その「日本の1番打者象」とは・・ズバリ「見る」1番打者です。
古くから日本の1番打者に求められてきたのは「出塁」です。
足が速く小技の効く打者が1番打者に座ることが多い日本の野球事情において、
塁に出ることでその後、力のある中軸打者に打順が回り長打が出ると当然、得点確率は高くなります。
また、瞬足の1番が塁に出ることで「盗塁」への警戒から投手は打者に100%の集中ができなくなります。
伝統的に日本の野球における1番打者は「出塁」することが求められます。
「出塁」するには「ヒットを打つ」「四死球で出塁する」「相手の失策で出塁する」の
3つの方法がありますが、中でも最も確率がいいのは「四死球での出塁」です。
ですから、日本のプロ野球草創期の1番打者はダボダボのユニフォームを着て、
身体の近くに来たボールにそのユニフォームをかすらせて「デッドボール」での出塁を狙う人もいました。
さらに、ファイターズの中島卓也選手のように「コツコツ当てて」相手投手がしびれを切らして
「フォアボール」をだすのを狙う選手も多かったんです。
ところが、1994年すい星のように現れたイチローさんは「コツコツ当てる」のは変わりませんが、
それをファウルゾーンではなく、内野に転がしてヒットを狙う打撃を得意としていました。
現にイチローさんのバットはいわゆる「詰まって」ヒットがでるように、
一番打球が飛ぶ「芯」の部分が普通のプロ野球選手と比べると
格段に範囲が狭いバットを使っていたといわれています。
この「芯」の部分は打球が一番飛ぶスポットと言われていて、
多くのプロ野球選手はここにボールを当てるために日々努力をしています。
なぜなら、「芯」に当たった打球は飛距離が出ますし、打球も自ずと速くなるからです。
なのにイチローさんはそれを捨て、「ヒットゾーンに打球を落とす・転がす」ということに特化し、
ヒットで出塁しようとする打者でした。こうした発想は今までのプロ野球選手にはなく、
1994年以初めて日本のプロ野球で200本安打(最終的には210本)に到達したのでした。
そして2001年海を渡ってメジャーに挑戦したイチローさんはそのスタイルを貫き。
メジャーデビューからなんと10年連続で200安打以上を記録。
2004年にはそれまでメジャー記録だったジョージ・シスラーの年間安打記録257本を抜き
シーズン262本のメジャー記録を作ります。
ちなみにメジャー記録の10位には同じくイチローさんが2001年に作った242安打がありますが、
トップ10に2つの記録を持つのはイチローさんとジョージ・シスラーの2人だけ。
200安打以上の年数10はピート・ローズと同じですが、10年連続はイチローさんだけです。
このように従来の日本「1番打者象」を変えるイチローさんの登場が無ければ、
その後の青木宣親選手、秋山翔吾選手の記録もなかったかもしれません。
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「 プロ野球200安打の壁 」
1994年9月20日は当時オリックスのイチローさんが
日本プロ野球初の1シーズン200本安打を達成した日です。
実は日本のプロ野球において、この200という数字は長きにわたって超えられなかった
いわゆる「壁」として君臨した数字。
野球の記録に主に用いられる記録は「数」「確率」です。
数はホームランや打点、投手の勝利数や奪三振の数。
確率はおなじみの「打率」「防御率」など、どれくらいの確率で
それがはじき出されるかを競うものです。
確率に関しては一定の水準に達すれば、あとは落とさないことを考え「休む」という選択肢がありますが、
「数」に関しては落ちない代わりに積み増していかなければ記録は生まれないので
とにかくたくさん稼ぐことが条件です。
ではこの200安打はなぜ「壁」として日本球界に君臨し続けたのでしょうか。
日本で長く年間最多安打記録としてトップだったのが1950年、
当時阪神の藤村富美男さんが記録した年間191安打。
この記録が生まれたのには理由があります。
それが1948年に登場した「ラビット(うさぎのように跳ねるの意)ボール」と言われる
従来のボールよりも飛躍的に飛距離が出るボールの採用です。
これにより、藤村さんのホームラン数は格段に増えます。
1947年までは1946年に打った5本が年間最多のホームランだった藤村さん。
導入初年度の1948年の13本、その翌年の1949年はなんと一気に46本に増えます。
「打球が飛ぶ」ということは「打球速度も速くなる」ということになります。
今まで勢いがなくなって野手にとられていた打球が、野手の間を抜ける打球となり
ヒット数も増えていくということになるわけです。
1947年までは年間最多でも132安打だった藤村さん。
導入初年度1948年は年間166安打といきなり34本積み増し、
翌1949年はさらに増えて187安打。
そして1950年には長く年間最多安打記録となる191安打を記録し、
打率も.362とし首位打者を獲得します。
しかしそこからイチローさんが記録を破るまで44年もの長い歳月がかかりました。
その謎を解く前にメジャーリーグの年間200安打はいつ達成されたのでしょうか。
実は1887年既に、カーネルスのピート・ブラウニングさんが年間220安打を記録しています。
野球というスポーツが誕生したころは、試合数は130試合を超えるほどでした。
現在のメジャーリーグは1961年から年間162試合制となっています。
143試合制のNPBよりは19試合多いので当然メジャーで「数を積み上げる」意味では
日本より200安打以上の打者が生まれる可能性は高いと言えるでしょう。
ちなみにメジャーでは歴代で100人程の打者が年間200安打以上を達成しています。
では、日本で200安打がなぜ長い間でなかったのでしょうか。
数を積み上げるにはその「機会」が多ければ多いほど有利になります。
では有利な条件とはなんでしょう?それが「打順」です。
今年ソフトバンクホークスで比較的1、2番を打つことが多かった今宮選手は
117試合出場時点で459打席立っていますが、
同じ出場試合数117試合の甲斐選手は363打席しかたっていません。
同じ出場試合数でも96打席もの差がつくのは、
甲斐選手の場合主に8、9番を打つことが多いから。
つまり、1番から始まる打順がある野球では打席が回る数は1番打者が1番多いということになります。
じゃあ、歴代の1番打者にはどうして200安打を打った選手が少ないの?というと、
それは日本の「1番打者象」によるところが多いのでは?と推測します。
その「日本の1番打者象」とは・・ズバリ「見る」1番打者です。
古くから日本の1番打者に求められてきたのは「出塁」です。
足が速く小技の効く打者が1番打者に座ることが多い日本の野球事情において、
塁に出ることでその後、力のある中軸打者に打順が回り長打が出ると当然、得点確率は高くなります。
また、瞬足の1番が塁に出ることで「盗塁」への警戒から投手は打者に100%の集中ができなくなります。
伝統的に日本の野球における1番打者は「出塁」することが求められます。
「出塁」するには「ヒットを打つ」「四死球で出塁する」「相手の失策で出塁する」の
3つの方法がありますが、中でも最も確率がいいのは「四死球での出塁」です。
ですから、日本のプロ野球草創期の1番打者はダボダボのユニフォームを着て、
身体の近くに来たボールにそのユニフォームをかすらせて「デッドボール」での出塁を狙う人もいました。
さらに、ファイターズの中島卓也選手のように「コツコツ当てて」相手投手がしびれを切らして
「フォアボール」をだすのを狙う選手も多かったんです。
ところが、1994年すい星のように現れたイチローさんは「コツコツ当てる」のは変わりませんが、
それをファウルゾーンではなく、内野に転がしてヒットを狙う打撃を得意としていました。
現にイチローさんのバットはいわゆる「詰まって」ヒットがでるように、
一番打球が飛ぶ「芯」の部分が普通のプロ野球選手と比べると
格段に範囲が狭いバットを使っていたといわれています。
この「芯」の部分は打球が一番飛ぶスポットと言われていて、
多くのプロ野球選手はここにボールを当てるために日々努力をしています。
なぜなら、「芯」に当たった打球は飛距離が出ますし、打球も自ずと速くなるからです。
なのにイチローさんはそれを捨て、「ヒットゾーンに打球を落とす・転がす」ということに特化し、
ヒットで出塁しようとする打者でした。こうした発想は今までのプロ野球選手にはなく、
1994年以初めて日本のプロ野球で200本安打(最終的には210本)に到達したのでした。
そして2001年海を渡ってメジャーに挑戦したイチローさんはそのスタイルを貫き。
メジャーデビューからなんと10年連続で200安打以上を記録。
2004年にはそれまでメジャー記録だったジョージ・シスラーの年間安打記録257本を抜き
シーズン262本のメジャー記録を作ります。
ちなみにメジャー記録の10位には同じくイチローさんが2001年に作った242安打がありますが、
トップ10に2つの記録を持つのはイチローさんとジョージ・シスラーの2人だけ。
200安打以上の年数10はピート・ローズと同じですが、10年連続はイチローさんだけです。
このように従来の日本「1番打者象」を変えるイチローさんの登場が無ければ、
その後の青木宣親選手、秋山翔吾選手の記録もなかったかもしれません。
毎朝6時半頃は「あさミミ!アラカルト」
月曜日は油野純帆ANが担当
「ローカル情報発信!あぶらのチェック」
北海道生活が2年目の油野AN。179市町村のことをもっと知りたい!という
好奇心から、その週にピッタリのご当地情報を紹介する超ローカルコーナーです。
火曜日が「八幡淳のスポーツプレゼンス」
臨場感あふれるスポーツの情報・話題・歴史を紹介していきます!
水曜日が「あさミミ☆リサーチ」!ですが、少しマイナーチェンジします。
毎週ひとつのテーマを設定。皆さんからメッセージをお寄せいただくコーナーになります。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
木曜日が「ナガイの北海道生活研究室」
永井ANがいまリスナーと共有したい「北海道の生活情報」を伝えていきます!
金曜日が「北海道応援!あやサポ」
上田あやが北海道で頑張る「ひと」にスポットライトを当て、全力応援していきます!
あさミミでは「もったいない」への取り組みを全力応援します!
北海道ライブあさミミでは、この秋からスペシャル企画始動します。
例えば、
題して「 もったいない!プラスワン! 」
去年はリスナーの皆様の「節約」を全力応援してきましたが、
今年のキーワードは「もったいない」です。
普段の生活には「もったいない」と感じる場面が数多く潜んでいます。
みんなでその「もったいない」をひとつでも多く防いで行こうではないか!
という企画です。
例えば、
・旦那が捨てようとしていた歯磨き粉、開いたらあと2回分残っていた!
・息子が使わなくなったカバン、夫がその後10年使用。まだまだ現役です!
・今まで捨てていた大根の葉っぱ。レシピを調べたらものすごい数でびっくり!
など、日常生活で感じた・共有したい「もったいない」エピソードを
あさミミまでお寄せください。
この企画をきっかけに、生活に「もったいない」をプラスしていきましょう!
メール・FAX・おハガキでお待ちしています!
メール asamimi@stv.jp FAX 011-202-7290
おハガキ 〒060-8705 STVラジオあさミミ もったいない係
※こちらも毎週の「あさミミ粗品歯ブラシ」プレゼントの抽選対象です
※こちらも毎週の「あさミミ粗品歯ブラシ」プレゼントの抽選対象です
あさミミでは今後も「もったいない」に関する様々な取り組み
ご紹介していきます!お楽しみに!