今朝の放送内容 8月9日(火)
2022年8月9日(火)
8月9日(火)
今朝の主なニュース・スポーツ情報
●避難指示も 道南や道北中心に土砂災害警戒
●道内感染者5098人 全国13万7千人
●BA.5対策強化宣言 決定へ
●オミクロン対応ワクチン接種 10月にも全世代対象へ
●道内最低賃金 920円へ
●岸田総理 ”統一教会”との関係見直しを指示
●物価高で倒産 過去最多ペース
●道立学校の耐震化率 全国平均より対応遅れ
●旭川でクマによる食害相次ぐ
●中国軍 台湾海峡の演習継続
●きのうの大リーグ
エンゼルス大谷翔平選手が3度目のシーズン100安打
パドレス・ダルビッシュ投手は5敗目
●侍ジャパン ジャイアンツ&ファイターズと11月強化試合決定
●プロ野球来季日程 開幕戦は新球場ファイターズ戦を先行
●ファイターズ メッツ傘下・加藤豪将選手の今秋ドラフト指名検討
●夏の全国高校野球 きょう札大谷が二松学舎大付と対戦 第3試合
●道内感染者5098人 全国13万7千人
●BA.5対策強化宣言 決定へ
●オミクロン対応ワクチン接種 10月にも全世代対象へ
●道内最低賃金 920円へ
●岸田総理 ”統一教会”との関係見直しを指示
●物価高で倒産 過去最多ペース
●道立学校の耐震化率 全国平均より対応遅れ
●旭川でクマによる食害相次ぐ
●中国軍 台湾海峡の演習継続
●きのうの大リーグ
エンゼルス大谷翔平選手が3度目のシーズン100安打
パドレス・ダルビッシュ投手は5敗目
●侍ジャパン ジャイアンツ&ファイターズと11月強化試合決定
●プロ野球来季日程 開幕戦は新球場ファイターズ戦を先行
●ファイターズ メッツ傘下・加藤豪将選手の今秋ドラフト指名検討
●夏の全国高校野球 きょう札大谷が二松学舎大付と対戦 第3試合
今朝の選曲
【6時台】
M「Lucky Chanceをもう一度/ C—C—B 」
【7時台】
M「そよ風の誘惑 /オリビア・ニュートン・ジョン」
M「Lucky Chanceをもう一度/ C—C—B 」
【7時台】
M「そよ風の誘惑 /オリビア・ニュートン・ジョン」
あさミミ!アラカルト~八幡淳のスポーツプレゼンス
八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「 ひげの暴れん坊将軍 ナイジェル・マンセル 」
8月8日は漢字の「八」が髭の形に似ていることから「ヒゲの日」
そんなヒゲの日、この日ひげがトレードマークのF1ドライバーが生まれます。
それが1980年代F1界を席巻したドライバー「ナイジェル・マンセル」さんです。
本名はナイジェル・アーネスト・ジェームズ・マンセルさん。
1953年8月8日イングランド出身の元レーシングドライバー。
イングランドのウスターシャー州に生まれ、成人するまで過ごします。
マシュー・ブルトン・カレッジで工学を学び、卒業後はフルタイムのレーシングドライバーに
転身するまでルーカス・エンジニアリングで航空宇宙技術者としても働いた経験があるそうで、
この時の知識や経験は、後のレースキャリアにおけるセッティングなどに
大きな影響を及ぼしたと言われています。
そんなマンセルさんが車の運転に興味を持ったきっかけが、
幼い頃、母親の運転する車に乗ってスピードの魅力を知ったことがきっかけでした。
当時イングランドでは制限速度がなく、お母さまは公道を時速160kmで運転したそうです。
また、お父様も趣味でカートレースに出場していて、
マンセルさん自身も1963年(10歳)からカートレースを始め、
1976年(22歳)からフォーミュラカーレースに挑戦しています。
このフォーミュラカーとは「車輪とドライバーが剥き出しになっている」
という規格(フォーミュラ)に沿ったレーシングカーのことで、
フォーミュラカーで行われる自動車競技がフォーミュラレース。
フォーミュラの頭文字Fを取ってクラスがカテゴライズされて、
最も有名なのがF1ということになります。
マンセルさんはそのフォーミュラカーレースでフォーミュラフォード、
F3、F2へとステップアップしていきます。
しかし、その過程には苦労が絶えません。
まず、レーサーになるためエンジニアを辞めた後、マンセルさんはビルの窓拭きのアルバイト、
妻ロザンヌさんはガス会社のパートをして生計を立てていました。
そんな中、フォーミュラフォード時代には、チャンピオンを争っている最中に頸椎を骨折。
チャンピオンは絶望的だと思われていた中、
ギプスを巻いてレースに復帰し1977年度のチャンピオンを獲得しています。
更に、F3参戦のためになんと、奥さんに黙って自宅を売り8000ポンドを
捻出したこともあったそうですが、資金はわずか6週間で底をついてしまいます。
そんなマンセルさんですからレーサーになるための執念はすさまじく、
ロータスF1テストドライバーの選考テストの際、
直前にF3のレース中に脊椎骨折していたにも関わらず、
通常の何倍もの量の鎮痛剤を打ちテストに参加します。
受験時にロータス関係者に「事故でひどい怪我をしたと聞いたが?」と問われても、
「それは同姓同名の別人じゃないですか?」ととぼけて、見事チャンスを掴み、
1980年、ロータスF1のテストドライバーの座を射止めた・・なんてエピソードも残っているくらいです。
そんなマンセルさんについにデビューの日がやってきます。
1980年のF1第10戦オーストリアグランプリで、ロータスからスポット参戦で見事F1デビュー。
しかし、このデビュー戦では、とんでもないアクシデントに見舞われます。
ただ、このデビュー戦のファイトあふれる走りが
チーム監督のコーリン・チャップマンに非常に強い印象を与え、
翌年からレギュラードライバーに昇格します。
そして、1981年の第5戦。ベルギーグランプリではジル・ヴィルヌーヴとの接戦を制し初入賞、
3位表彰台に立つまでになるのです。
しかし、ロータス在籍時代のマンセルさんはエースドライバーのエリオ・デ・アンジェリスの陰に隠れ、
なかなか優勝できません。
1984年の第6戦モナコグランプリでは、予選2位から初めてトップを走行しますが、
25周目、大雨の中コース上の白線に乗ってスリップし、ガードレールにぶつかりリタイア。
第9戦ダラスで行われたアメリカグランプリでは、自身初のポールポジションを獲得したものの、
決勝レースではチェッカー目前で壁に当たりトランスミッションを壊して停止。
マシンを降り自ら押してチェッカーを目指すも、途中で気絶してコース上に倒れ、
結果的に6位完走扱いに終わるなど、結局、ロータス在籍の4年間で表彰台には上がるも勝利を得られず、
新鋭アイルトン・セナの加入により押し出される形でチームを去ることになります。
そんなマンセルさんですが、ロータス時代のモナコグランプリでの好走が評価され、
1985年、ウィリアムズ入りが決まります。
すると、地元イギリス・ブランズハッチで行われた第14戦ヨーロッパGPで遂にF1初優勝!
デビューから72戦目での初優勝は、当時の最遅記録でもありましたが、
この初優勝を境に後に「暴れん坊将軍」と呼ばれる、マンセルさんの秘めた闘志が燃え上がり始めます。
1986年にはウィリアムズに2度のチャンピオン経験者であるネルソン・ピケが加入。
ライバルとして意識しあい、マクラーレンのアラン・プロストと三つ巴のチャンピオン争いを展開。
自身最多の5勝を挙げ、最終戦オーストラリアグランプリを迎えた時点で2位に6ポイントの差をつけて
ランキングトップになります。
決勝では自力で王座を決められる3位をキープしていたものの
レース終盤に左リアタイヤが突然バーストしてリタイア。
優勝したプロストにポイントで逆転され、ドライバーズランキングは2位に終わってしまいます。
このリアタイヤがバーストした時、287km/hの速度が出ていましたが、
三輪になったマシンを見事にコントロールし、エスケープロードに安全に停止させ、
クラッシュすることなくマシンを停止させる離れ技を演じました。
このように、危機回避能力はもちろん、コーナー進入時にもぎりぎりまでブレーキングせずに、
一気にステアリングを切るというマンセルさんのテクニックは
強靭な上半身があるからこそなせる技でした。そして、この時の三つ巴の戦いを演じた
アラン・プロスト、ネルソン・ピケ、そして、アイルトン・セナを加えた4人は、
1980年代後半から1990年代初頭にかけて「四強」あるいは「F1四天王」とまで呼ばれることになります。
しかし、マンセルさんは四天王と呼ばれるようになっても、
年間チャンピオンとは縁遠い存在となります。
1987年は逆転を掛けて第15戦日本グランプリに挑みますが、
予選1日目にS字コーナーで大クラッシュ。
背中を痛めてこのレースと最終戦を欠場することとなり、
2年連続で王座を逃します。その後2年のフェラーリ所属を経て1991年以再びウイリアムズに戻ると
ついに1992年、開幕から5連勝!さらに第8戦フランスから第10戦ドイツまで3連勝を達成し、
チャンピオン争いトップを独走。
そして、第11戦ハンガリーグランプリでついに念願のワールドチャンピオンに輝き、
表彰台で男泣きしました。
この年全16戦中14回のポールポジション、計9勝(すべてポールトゥーウィン)を記録、
1988年のセナの13ポールポジション、8勝を塗り替えました。
実に1980年のデビューから12年、当時のマリオ・アンドレッティの10年を破り
「デビューから最も遅いチャンピオン」となりました。
そして、翌年、今度はCARTのニューマン・ハース・レーシングに加入しここでもチャンピオンとなり、
唯一無二のF1、とカートの連続チャンピオンドライバーとなりました。
決して最初から恵まれた才能や資金的余裕があった訳ではありませんが、
不断の努力と独創的な走りで伝説となったドライバーでした。
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「 ひげの暴れん坊将軍 ナイジェル・マンセル 」
8月8日は漢字の「八」が髭の形に似ていることから「ヒゲの日」
そんなヒゲの日、この日ひげがトレードマークのF1ドライバーが生まれます。
それが1980年代F1界を席巻したドライバー「ナイジェル・マンセル」さんです。
本名はナイジェル・アーネスト・ジェームズ・マンセルさん。
1953年8月8日イングランド出身の元レーシングドライバー。
イングランドのウスターシャー州に生まれ、成人するまで過ごします。
マシュー・ブルトン・カレッジで工学を学び、卒業後はフルタイムのレーシングドライバーに
転身するまでルーカス・エンジニアリングで航空宇宙技術者としても働いた経験があるそうで、
この時の知識や経験は、後のレースキャリアにおけるセッティングなどに
大きな影響を及ぼしたと言われています。
そんなマンセルさんが車の運転に興味を持ったきっかけが、
幼い頃、母親の運転する車に乗ってスピードの魅力を知ったことがきっかけでした。
当時イングランドでは制限速度がなく、お母さまは公道を時速160kmで運転したそうです。
また、お父様も趣味でカートレースに出場していて、
マンセルさん自身も1963年(10歳)からカートレースを始め、
1976年(22歳)からフォーミュラカーレースに挑戦しています。
このフォーミュラカーとは「車輪とドライバーが剥き出しになっている」
という規格(フォーミュラ)に沿ったレーシングカーのことで、
フォーミュラカーで行われる自動車競技がフォーミュラレース。
フォーミュラの頭文字Fを取ってクラスがカテゴライズされて、
最も有名なのがF1ということになります。
マンセルさんはそのフォーミュラカーレースでフォーミュラフォード、
F3、F2へとステップアップしていきます。
しかし、その過程には苦労が絶えません。
まず、レーサーになるためエンジニアを辞めた後、マンセルさんはビルの窓拭きのアルバイト、
妻ロザンヌさんはガス会社のパートをして生計を立てていました。
そんな中、フォーミュラフォード時代には、チャンピオンを争っている最中に頸椎を骨折。
チャンピオンは絶望的だと思われていた中、
ギプスを巻いてレースに復帰し1977年度のチャンピオンを獲得しています。
更に、F3参戦のためになんと、奥さんに黙って自宅を売り8000ポンドを
捻出したこともあったそうですが、資金はわずか6週間で底をついてしまいます。
そんなマンセルさんですからレーサーになるための執念はすさまじく、
ロータスF1テストドライバーの選考テストの際、
直前にF3のレース中に脊椎骨折していたにも関わらず、
通常の何倍もの量の鎮痛剤を打ちテストに参加します。
受験時にロータス関係者に「事故でひどい怪我をしたと聞いたが?」と問われても、
「それは同姓同名の別人じゃないですか?」ととぼけて、見事チャンスを掴み、
1980年、ロータスF1のテストドライバーの座を射止めた・・なんてエピソードも残っているくらいです。
そんなマンセルさんについにデビューの日がやってきます。
1980年のF1第10戦オーストリアグランプリで、ロータスからスポット参戦で見事F1デビュー。
しかし、このデビュー戦では、とんでもないアクシデントに見舞われます。
ただ、このデビュー戦のファイトあふれる走りが
チーム監督のコーリン・チャップマンに非常に強い印象を与え、
翌年からレギュラードライバーに昇格します。
そして、1981年の第5戦。ベルギーグランプリではジル・ヴィルヌーヴとの接戦を制し初入賞、
3位表彰台に立つまでになるのです。
しかし、ロータス在籍時代のマンセルさんはエースドライバーのエリオ・デ・アンジェリスの陰に隠れ、
なかなか優勝できません。
1984年の第6戦モナコグランプリでは、予選2位から初めてトップを走行しますが、
25周目、大雨の中コース上の白線に乗ってスリップし、ガードレールにぶつかりリタイア。
第9戦ダラスで行われたアメリカグランプリでは、自身初のポールポジションを獲得したものの、
決勝レースではチェッカー目前で壁に当たりトランスミッションを壊して停止。
マシンを降り自ら押してチェッカーを目指すも、途中で気絶してコース上に倒れ、
結果的に6位完走扱いに終わるなど、結局、ロータス在籍の4年間で表彰台には上がるも勝利を得られず、
新鋭アイルトン・セナの加入により押し出される形でチームを去ることになります。
そんなマンセルさんですが、ロータス時代のモナコグランプリでの好走が評価され、
1985年、ウィリアムズ入りが決まります。
すると、地元イギリス・ブランズハッチで行われた第14戦ヨーロッパGPで遂にF1初優勝!
デビューから72戦目での初優勝は、当時の最遅記録でもありましたが、
この初優勝を境に後に「暴れん坊将軍」と呼ばれる、マンセルさんの秘めた闘志が燃え上がり始めます。
1986年にはウィリアムズに2度のチャンピオン経験者であるネルソン・ピケが加入。
ライバルとして意識しあい、マクラーレンのアラン・プロストと三つ巴のチャンピオン争いを展開。
自身最多の5勝を挙げ、最終戦オーストラリアグランプリを迎えた時点で2位に6ポイントの差をつけて
ランキングトップになります。
決勝では自力で王座を決められる3位をキープしていたものの
レース終盤に左リアタイヤが突然バーストしてリタイア。
優勝したプロストにポイントで逆転され、ドライバーズランキングは2位に終わってしまいます。
このリアタイヤがバーストした時、287km/hの速度が出ていましたが、
三輪になったマシンを見事にコントロールし、エスケープロードに安全に停止させ、
クラッシュすることなくマシンを停止させる離れ技を演じました。
このように、危機回避能力はもちろん、コーナー進入時にもぎりぎりまでブレーキングせずに、
一気にステアリングを切るというマンセルさんのテクニックは
強靭な上半身があるからこそなせる技でした。そして、この時の三つ巴の戦いを演じた
アラン・プロスト、ネルソン・ピケ、そして、アイルトン・セナを加えた4人は、
1980年代後半から1990年代初頭にかけて「四強」あるいは「F1四天王」とまで呼ばれることになります。
しかし、マンセルさんは四天王と呼ばれるようになっても、
年間チャンピオンとは縁遠い存在となります。
1987年は逆転を掛けて第15戦日本グランプリに挑みますが、
予選1日目にS字コーナーで大クラッシュ。
背中を痛めてこのレースと最終戦を欠場することとなり、
2年連続で王座を逃します。その後2年のフェラーリ所属を経て1991年以再びウイリアムズに戻ると
ついに1992年、開幕から5連勝!さらに第8戦フランスから第10戦ドイツまで3連勝を達成し、
チャンピオン争いトップを独走。
そして、第11戦ハンガリーグランプリでついに念願のワールドチャンピオンに輝き、
表彰台で男泣きしました。
この年全16戦中14回のポールポジション、計9勝(すべてポールトゥーウィン)を記録、
1988年のセナの13ポールポジション、8勝を塗り替えました。
実に1980年のデビューから12年、当時のマリオ・アンドレッティの10年を破り
「デビューから最も遅いチャンピオン」となりました。
そして、翌年、今度はCARTのニューマン・ハース・レーシングに加入しここでもチャンピオンとなり、
唯一無二のF1、とカートの連続チャンピオンドライバーとなりました。
決して最初から恵まれた才能や資金的余裕があった訳ではありませんが、
不断の努力と独創的な走りで伝説となったドライバーでした。
毎朝6時半頃は「あさミミ!アラカルト」
月曜日は油野純帆ANが担当
「ローカル情報発信!あぶらのチェック」
北海道生活が2年目の油野AN。179市町村のことをもっと知りたい!という
好奇心から、その週にピッタリのご当地情報を紹介する超ローカルコーナーです。
火曜日が「八幡淳のスポーツプレゼンス」
臨場感あふれるスポーツの情報・話題・歴史を紹介していきます!
水曜日が「あさミミ☆リサーチ」!ですが、少しマイナーチェンジします。
毎週ひとつのテーマを設定。皆さんからメッセージをお寄せいただくコーナーになります。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
木曜日が「ナガイの北海道生活研究室」
永井ANがいまリスナーと共有したい「北海道の生活情報」を伝えていきます!
金曜日が「北海道応援!あやサポ」
上田あやが北海道で頑張る「ひと」にスポットライトを当て、全力応援していきます!
帰ってきた!《ツルハ ハッピーライフ 毎日笑顔》
今回のテーマ「 ちょっと遠出の旅グルメ! 」
帰ってきました!「ツルハ ハッピーライフ 毎日笑顔!」
7月と8月毎週月曜日の期間限定でお送りします!(全9回です)
今回のメッセージテーマは
「 ツルハハッピーライフ毎日笑顔~ちょっと遠出の旅グルメ! 」
食は人を笑顔にさせますね。
わざわざ遠出してまで食べたい”あの味”、皆さんありませんか?
その味にはどんな思い出が詰まっていますか?
さらに、いつもその流れで立ち寄る街やお店・風景など、
あなたの鉄板”ちょっと遠出の旅グルメ”お待ちしています!
メッセージをお寄せいただき、番組でご紹介された方には
JCBギフト券1000円分をプレゼントいたしますので、ぜひご参加ください!
メールはasamimi@stv.jp FAXは札幌011-202-7290
「ツルハ ハッピーライフ 毎日笑顔 係」まで!
7月と8月毎週月曜日の期間限定でお送りします!(全9回です)
今回のメッセージテーマは
「 ツルハハッピーライフ毎日笑顔~ちょっと遠出の旅グルメ! 」
食は人を笑顔にさせますね。
わざわざ遠出してまで食べたい”あの味”、皆さんありませんか?
その味にはどんな思い出が詰まっていますか?
さらに、いつもその流れで立ち寄る街やお店・風景など、
あなたの鉄板”ちょっと遠出の旅グルメ”お待ちしています!
メッセージをお寄せいただき、番組でご紹介された方には
JCBギフト券1000円分をプレゼントいたしますので、ぜひご参加ください!
メールはasamimi@stv.jp FAXは札幌011-202-7290
「ツルハ ハッピーライフ 毎日笑顔 係」まで!
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小学生夏休み作文コンクールのご参加お待ちしています!