今朝の放送内容 7月26日(火)
2022年7月26日(火)
7月26日(火)
今朝の主なニュース・スポーツ情報
●「サル痘」感染 国内初確認
●道内感染者3361人 全国12万6千人
●KAZU1 事故原因究明へ船体調査
●帯広で蛇口の盗難相次ぐ
●ロシア「オデーサ港攻撃は正当」と主張
●ローカル鉄道見直し 有識者が提言
●「最低賃金」引き上げ結論持ち越し
●安倍元総理の国葬 プーチン大統領「出席予定ない」
●昭恵夫人が乗った車に警護車両が追突
●当麻町でキュウリの出荷が最盛期
●世界陸上・男子棒高跳び スウェーデン選手が6m21で世界記録更新
男子4×400mリレーで日本 日本新記録も4位
●フェンシング世界選手権 銀メダルの見延和靖選手が帰国
●元フィギュアスケート選手 キム・ヨナさんが結婚へ
●レバンガ 8/1から次期シーズン活動始動へ 9月には「TOHOKU CUP」出場
●都市対抗野球 北ガスがJR西日本に1-4で逆転負け 道勢100勝お預け
●高校野球南北海道大会 きょう決勝・知内-札幌大谷 勝てばどちらも初優勝
●プロ野球きょうから球宴
●道内感染者3361人 全国12万6千人
●KAZU1 事故原因究明へ船体調査
●帯広で蛇口の盗難相次ぐ
●ロシア「オデーサ港攻撃は正当」と主張
●ローカル鉄道見直し 有識者が提言
●「最低賃金」引き上げ結論持ち越し
●安倍元総理の国葬 プーチン大統領「出席予定ない」
●昭恵夫人が乗った車に警護車両が追突
●当麻町でキュウリの出荷が最盛期
●世界陸上・男子棒高跳び スウェーデン選手が6m21で世界記録更新
男子4×400mリレーで日本 日本新記録も4位
●フェンシング世界選手権 銀メダルの見延和靖選手が帰国
●元フィギュアスケート選手 キム・ヨナさんが結婚へ
●レバンガ 8/1から次期シーズン活動始動へ 9月には「TOHOKU CUP」出場
●都市対抗野球 北ガスがJR西日本に1-4で逆転負け 道勢100勝お預け
●高校野球南北海道大会 きょう決勝・知内-札幌大谷 勝てばどちらも初優勝
●プロ野球きょうから球宴
今朝の選曲
【6時台】
M「夏疾風/嵐」
【7時台】
M「バケーション/コニー・フランシス」
M「夏疾風/嵐」
【7時台】
M「バケーション/コニー・フランシス」
あさミミ!アラカルト〜八幡淳のスポーツプレゼンス
八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は『 スモールベースボールの伝道師 牧野茂 』
プロ野球は7月26日(火)27日(水)オールスターゲーム。
セ・パの選ばれし選手たちがその力と技を存分に見せる試合となります。
それとは逆にペナントレースや国際大会、高校野球などのトーナメント制で行われる大会などでは
一つのアウトを犠牲にして味方のランナーを進めるなどのいわゆる
「スモールベースボール」というち密な野球が用いられることもあります。
今年のファイターズの試合などはまさにそれで、
ランナー3塁でバントで生還させる「スクイズ」や、
1,3塁で1塁走者が2塁へ走る間に3塁走者がホームを狙う「ダブルスチール」など、
強打者の打力に頼らなくても得点を奪い勝利するのがスモールベースボールです。
そのスモールベースボールをいち早く日本のプロ野球に持ち込んだといわれる人物こそ、
ご存命なら今日が94歳のお誕生日だった元プロ野球選手の牧野茂さんです。
牧野さんは、1928年7月26日香川県高松市生まれの
元プロ野球選手主にショートとして活躍した選手です。
高松商業野球部OBで後援会長もされていたお父様の影響で野球を始め、
ご自身も高松商業に進学、ただ高松空襲で実家が全焼したため愛知県へ疎開。
愛知商業に編入し、戦後初の全国大会となった1946年の第28回全国中等学校優勝野球大会
(現在の夏の甲子園大会)に出場。
卒業後1947年に明治大学へ進学し、東京六大学リーグ通算73試合で
打率.207、15打点、0本塁打を記録。
卒業後は明大の先輩である天知俊一監督の誘いで、1951年に中日ドラゴンズへ入団。
68cmの小柄な身体ながら華麗な守備の遊撃手として活躍し、
1954年のリーグ初優勝と初の日本一に大きく貢献しますが、
終身打率.217という目立った成績は残せず、1959年現役を引退します。
引退翌年に中日のコーチになりますが、1年限りで退団。
退団後の1961年、デイリースポーツ評論家として記事を執筆していました。
ただ、その評論記事が非常に舌鋒鋭く、当時の巨人の長所短所を
非常に細かく批評する新聞記事を見た、当時の巨人監督・川上哲治さんが、
その内容に感銘を受け、牧野さんをコーチとして迎えることを決意。
なんと1961年シーズン途中の7月25日に巨人の一軍コーチとして入団させます。
実はこれ、異例中の異例で当時、自球団出身者以外の人物をコーチとして招聘したのは
巨人では勿論、他球団においてもほとんど例が無かったそうです。
当時の川上監督はアメリカ大リーグ、ドジャースで実践され、
成功を収めた組織野球戦術「ドジャース戦法(・・のちにこれがスモールベースボールの礎となる)」、
それをチームに根ざすことを考えていたそうです。
牧野さんの執筆した記事を読んだ川上監督はその野球理論に惚れて、
牧野さんをドジャース戦法導入のキーマンと考え、コーチとして入団させたようです。
このドジャース戦法を浸透させるための練習は、
それまで「特別練習」と呼んでいた練習をより強い意味にしようという思いから「特別訓練」と称し、
それを略して誕生した言葉が「特訓」という言葉でした。
この言葉はマスコミによって広められて、現在では誰もが当たり前に使う言葉として
定着したという話も残っています。
この年の巨人のキャンプはドジャースがスプリングトレーニングを
当時実施していたフロリダ州ベロビーチで行われ、
当時のV9戦士である王さん長嶋さんはもちろんその他の選手にも徹底して叩き込まれました。
この「ドジャースの戦法」とは、ブルックリン・ドジャースの
春季キャンプの訓練係を長年担当してきたアル・キャンパニスが
1954年に著した野球技術書・野球指導書のことで、
内容は第1部「守備編」、第2部「攻撃編」、第3部「指揮編」の3つで構成されています。、
今やプロ以外でも基本とされている動きや根拠などがぎっしりと書かれていて、
当時のいわば「ただ投げてただ打つ」という野球から1歩も2歩も先を行った戦術でした。
牧野さんはチームの帰国後もアメリカに残り、
ドジャース戦法をはじめとした組織野球戦法の研究に努めます。
ボロボロになるまで『ドジャースの戦法』を読みあさり、
最終的にはその内容をすっかり丸暗記したそうです。
そして、1963年春にはベロビーチでその著者であるアル・キャンパニスから直接指導を受け、
「守備練習こそが勝利への直通路だ」と結論付けます。
BIGBOSSも監督に就任してまず初めに着手したのは「守備」でした。
低く強い送球を意識しなさいということでワゴン車の天井にのってバットを水平に出したあのシーン。
どれだけ時代が変わっても、このドジャースの戦法というのは
野球界においては最も勝利に結びつく近道であると言えるでしょう。
そんな戦法を取り入れた牧野さん、あることを日本のプロ野球で初めて実践した人でもあります。
それは、サードコーチャーからのサインを日本で一番最初に出した人です。
この時代の巨人では、投手から野手に転向した瞬足が特徴の右打者、
柴田勲さんをスイッチヒッター、両打ちへ転向させたり、
今やどのチームにも当たり前にいるストッパーや、セットアッパーというリリーフ投手の存在、
ケガや病気による選手の二軍調整のシステムなど、
現在のプロ野球の常識となった手法を次々に採用していきます。
牧野さんがドジャース戦法を取り入れた1962年から勇退される1974年までの13シーズン、
巨人は実に10回のリーグ優勝、うち1965年~1973年までは9年連続リーグ優勝と
日本一いわゆるV9を達成して、長いペナントレースはもちろん最大7試合という
短期決戦の日本シリーズでも類を見ないほどの強さを誇りました。
V9の象徴として王さん長嶋さんが挙げられますが、
この強さの根本には当時の日本のプロ野球ではどの球団も採用していなかった
画期的な戦術を植え付けた牧野さんの功績があったことは間違いないでしょう。
後に川上さんも「もし牧野がいなかったら、
巨人の『V9』は達成できていなかっただろう」と語っています。
この戦法は瞬く間に日本球界に広まり、川上巨人を礎にした森祇晶、
野村克也両氏が西武やヤクルトで黄金時代を築き、
彼らの指導を受けたのが今の西武辻監督、楽天石井監督、ヤクルト高津監督、
阪神矢野監督、そしてファイターズBIGBOSSです。
牧野茂さんがいなければ日本の野球レベルはまだメジャーに遠く及ばなかったかもしれません。
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は『 スモールベースボールの伝道師 牧野茂 』
プロ野球は7月26日(火)27日(水)オールスターゲーム。
セ・パの選ばれし選手たちがその力と技を存分に見せる試合となります。
それとは逆にペナントレースや国際大会、高校野球などのトーナメント制で行われる大会などでは
一つのアウトを犠牲にして味方のランナーを進めるなどのいわゆる
「スモールベースボール」というち密な野球が用いられることもあります。
今年のファイターズの試合などはまさにそれで、
ランナー3塁でバントで生還させる「スクイズ」や、
1,3塁で1塁走者が2塁へ走る間に3塁走者がホームを狙う「ダブルスチール」など、
強打者の打力に頼らなくても得点を奪い勝利するのがスモールベースボールです。
そのスモールベースボールをいち早く日本のプロ野球に持ち込んだといわれる人物こそ、
ご存命なら今日が94歳のお誕生日だった元プロ野球選手の牧野茂さんです。
牧野さんは、1928年7月26日香川県高松市生まれの
元プロ野球選手主にショートとして活躍した選手です。
高松商業野球部OBで後援会長もされていたお父様の影響で野球を始め、
ご自身も高松商業に進学、ただ高松空襲で実家が全焼したため愛知県へ疎開。
愛知商業に編入し、戦後初の全国大会となった1946年の第28回全国中等学校優勝野球大会
(現在の夏の甲子園大会)に出場。
卒業後1947年に明治大学へ進学し、東京六大学リーグ通算73試合で
打率.207、15打点、0本塁打を記録。
卒業後は明大の先輩である天知俊一監督の誘いで、1951年に中日ドラゴンズへ入団。
68cmの小柄な身体ながら華麗な守備の遊撃手として活躍し、
1954年のリーグ初優勝と初の日本一に大きく貢献しますが、
終身打率.217という目立った成績は残せず、1959年現役を引退します。
引退翌年に中日のコーチになりますが、1年限りで退団。
退団後の1961年、デイリースポーツ評論家として記事を執筆していました。
ただ、その評論記事が非常に舌鋒鋭く、当時の巨人の長所短所を
非常に細かく批評する新聞記事を見た、当時の巨人監督・川上哲治さんが、
その内容に感銘を受け、牧野さんをコーチとして迎えることを決意。
なんと1961年シーズン途中の7月25日に巨人の一軍コーチとして入団させます。
実はこれ、異例中の異例で当時、自球団出身者以外の人物をコーチとして招聘したのは
巨人では勿論、他球団においてもほとんど例が無かったそうです。
当時の川上監督はアメリカ大リーグ、ドジャースで実践され、
成功を収めた組織野球戦術「ドジャース戦法(・・のちにこれがスモールベースボールの礎となる)」、
それをチームに根ざすことを考えていたそうです。
牧野さんの執筆した記事を読んだ川上監督はその野球理論に惚れて、
牧野さんをドジャース戦法導入のキーマンと考え、コーチとして入団させたようです。
このドジャース戦法を浸透させるための練習は、
それまで「特別練習」と呼んでいた練習をより強い意味にしようという思いから「特別訓練」と称し、
それを略して誕生した言葉が「特訓」という言葉でした。
この言葉はマスコミによって広められて、現在では誰もが当たり前に使う言葉として
定着したという話も残っています。
この年の巨人のキャンプはドジャースがスプリングトレーニングを
当時実施していたフロリダ州ベロビーチで行われ、
当時のV9戦士である王さん長嶋さんはもちろんその他の選手にも徹底して叩き込まれました。
この「ドジャースの戦法」とは、ブルックリン・ドジャースの
春季キャンプの訓練係を長年担当してきたアル・キャンパニスが
1954年に著した野球技術書・野球指導書のことで、
内容は第1部「守備編」、第2部「攻撃編」、第3部「指揮編」の3つで構成されています。、
今やプロ以外でも基本とされている動きや根拠などがぎっしりと書かれていて、
当時のいわば「ただ投げてただ打つ」という野球から1歩も2歩も先を行った戦術でした。
牧野さんはチームの帰国後もアメリカに残り、
ドジャース戦法をはじめとした組織野球戦法の研究に努めます。
ボロボロになるまで『ドジャースの戦法』を読みあさり、
最終的にはその内容をすっかり丸暗記したそうです。
そして、1963年春にはベロビーチでその著者であるアル・キャンパニスから直接指導を受け、
「守備練習こそが勝利への直通路だ」と結論付けます。
BIGBOSSも監督に就任してまず初めに着手したのは「守備」でした。
低く強い送球を意識しなさいということでワゴン車の天井にのってバットを水平に出したあのシーン。
どれだけ時代が変わっても、このドジャースの戦法というのは
野球界においては最も勝利に結びつく近道であると言えるでしょう。
そんな戦法を取り入れた牧野さん、あることを日本のプロ野球で初めて実践した人でもあります。
それは、サードコーチャーからのサインを日本で一番最初に出した人です。
この時代の巨人では、投手から野手に転向した瞬足が特徴の右打者、
柴田勲さんをスイッチヒッター、両打ちへ転向させたり、
今やどのチームにも当たり前にいるストッパーや、セットアッパーというリリーフ投手の存在、
ケガや病気による選手の二軍調整のシステムなど、
現在のプロ野球の常識となった手法を次々に採用していきます。
牧野さんがドジャース戦法を取り入れた1962年から勇退される1974年までの13シーズン、
巨人は実に10回のリーグ優勝、うち1965年~1973年までは9年連続リーグ優勝と
日本一いわゆるV9を達成して、長いペナントレースはもちろん最大7試合という
短期決戦の日本シリーズでも類を見ないほどの強さを誇りました。
V9の象徴として王さん長嶋さんが挙げられますが、
この強さの根本には当時の日本のプロ野球ではどの球団も採用していなかった
画期的な戦術を植え付けた牧野さんの功績があったことは間違いないでしょう。
後に川上さんも「もし牧野がいなかったら、
巨人の『V9』は達成できていなかっただろう」と語っています。
この戦法は瞬く間に日本球界に広まり、川上巨人を礎にした森祇晶、
野村克也両氏が西武やヤクルトで黄金時代を築き、
彼らの指導を受けたのが今の西武辻監督、楽天石井監督、ヤクルト高津監督、
阪神矢野監督、そしてファイターズBIGBOSSです。
牧野茂さんがいなければ日本の野球レベルはまだメジャーに遠く及ばなかったかもしれません。
毎朝6時半頃は「あさミミ!アラカルト」
月曜日は油野純帆ANが担当
「ローカル情報発信!あぶらのチェック」
北海道生活が2年目の油野AN。179市町村のことをもっと知りたい!という
好奇心から、その週にピッタリのご当地情報を紹介する超ローカルコーナーです。
火曜日が「八幡淳のスポーツプレゼンス」
臨場感あふれるスポーツの情報・話題・歴史を紹介していきます!
水曜日が「あさミミ☆リサーチ」!ですが、少しマイナーチェンジします。
毎週ひとつのテーマを設定。皆さんからメッセージをお寄せいただくコーナーになります。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
木曜日が「ナガイの北海道生活研究室」
永井ANがいまリスナーと共有したい「北海道の生活情報」を伝えていきます!
金曜日が「北海道応援!あやサポ」
上田あやが北海道で頑張る「ひと」にスポットライトを当て、全力応援していきます!
帰ってきた!《ツルハ ハッピーライフ 毎日笑顔》
今回のテーマ「 ちょっと遠出の旅グルメ! 」
帰ってきました!「ツルハ ハッピーライフ 毎日笑顔!」
7月と8月毎週月曜日の期間限定でお送りします!(全9回です)
今回のメッセージテーマは
「 ツルハハッピーライフ毎日笑顔~ちょっと遠出の旅グルメ! 」
食は人を笑顔にさせますね。
わざわざ遠出してまで食べたい”あの味”、皆さんありませんか?
その味にはどんな思い出が詰まっていますか?
さらに、いつもその流れで立ち寄る街やお店・風景など、
あなたの鉄板”ちょっと遠出の旅グルメ”お待ちしています!
メッセージをお寄せいただき、番組でご紹介された方には
JCBギフト券1000円分をプレゼントいたしますので、ぜひご参加ください!
メールはasamimi@stv.jp FAXは札幌011-202-7290
「ツルハ ハッピーライフ 毎日笑顔 係」まで!
7月と8月毎週月曜日の期間限定でお送りします!(全9回です)
今回のメッセージテーマは
「 ツルハハッピーライフ毎日笑顔~ちょっと遠出の旅グルメ! 」
食は人を笑顔にさせますね。
わざわざ遠出してまで食べたい”あの味”、皆さんありませんか?
その味にはどんな思い出が詰まっていますか?
さらに、いつもその流れで立ち寄る街やお店・風景など、
あなたの鉄板”ちょっと遠出の旅グルメ”お待ちしています!
メッセージをお寄せいただき、番組でご紹介された方には
JCBギフト券1000円分をプレゼントいたしますので、ぜひご参加ください!
メールはasamimi@stv.jp FAXは札幌011-202-7290
「ツルハ ハッピーライフ 毎日笑顔 係」まで!
-
小学生夏休み作文コンクールのご参加お待ちしています!