今朝の放送内容 7月19日(火)
2022年7月19日(火)
7月19日(火)
今朝の主なニュース・スポーツ情報
●道内感染者1515人 全国7万6千人
●千歳線で列車40本が運休
●自宅に子供を10時間以上放置 母親を逮捕
●安倍元総理銃撃現場を警察庁次長が視察
●日韓外相会談 2年半ぶりに開催
●「京アニ」放火殺人から3年
●米中西部のショッピングモールで銃乱射
●中山峠で安全運転呼びかけ
●欧州で猛烈な熱波 死者や森林火災相次ぐ
●きのうの大リーグ
カブス鈴木誠也選手は7試合連続安打で前半終了
パイレーツ筒香嘉智選手は前半戦2本塁打15打点で終える
●きのうのプロ野球結果
●きのうの大相撲名古屋場所結果 一山本は親方コロナ感染で休場
●大相撲・二代目若乃花 元間垣親方の下山勝則氏が死去
●フィギュア羽生結弦選手がきょう午後5時から会見「決意表明」
●ファイターズ 西武に1-5で連敗 清宮選手が好機で沈黙
新庄BIGBOSSらがコロナ陽性 16人離脱
●知的障害者五輪 レバンガと連携
●大リーグ球宴 大谷選手はア・リーグ1番DH 登板は回避の方針
●千歳線で列車40本が運休
●自宅に子供を10時間以上放置 母親を逮捕
●安倍元総理銃撃現場を警察庁次長が視察
●日韓外相会談 2年半ぶりに開催
●「京アニ」放火殺人から3年
●米中西部のショッピングモールで銃乱射
●中山峠で安全運転呼びかけ
●欧州で猛烈な熱波 死者や森林火災相次ぐ
●きのうの大リーグ
カブス鈴木誠也選手は7試合連続安打で前半終了
パイレーツ筒香嘉智選手は前半戦2本塁打15打点で終える
●きのうのプロ野球結果
●きのうの大相撲名古屋場所結果 一山本は親方コロナ感染で休場
●大相撲・二代目若乃花 元間垣親方の下山勝則氏が死去
●フィギュア羽生結弦選手がきょう午後5時から会見「決意表明」
●ファイターズ 西武に1-5で連敗 清宮選手が好機で沈黙
新庄BIGBOSSらがコロナ陽性 16人離脱
●知的障害者五輪 レバンガと連携
●大リーグ球宴 大谷選手はア・リーグ1番DH 登板は回避の方針
今朝の選曲
【6時台】
M「聖なる海とサンシャイン/ THE YELLOW MONKEY 」
【7時台】
M「フレッシュ/クール&ザ・ギャング」
M「聖なる海とサンシャイン/ THE YELLOW MONKEY 」
【7時台】
M「フレッシュ/クール&ザ・ギャング」
あさミミ!アラカルト〜八幡淳のスポーツプレゼンス
八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「木村和司 伝説のフリーキック」
日本のスポーツ界にはベテランの域に達しても、
今なおトップ選手として現役を続けている人を「レジェンド」と称することがあります。
そのルーツはジャンプの葛西紀明選手がヨーロッパでそう言われていることを
2014年のソチ五輪でメダルを獲得し、
その年の新語流行語大賞のトップ10入りしたことも大きく影響しました。
その流れが来るはるか前に、あるプレーに対して「レジェンド」・・
日本語でいう「伝説」という称号が付いたものがありました。
そのプレーを生み出した方が、7月19日64歳のお誕生日という元サッカー選手木村和司さんです。
木村 和司さんは1958年7月19日、広島市生まれの元サッカー選手、
現役時代のポジションは主に攻撃的MFという選手でした。
広島大河FCで腕を磨き、県立広島工業高校時代は高校選手権でベスト4の成績を残し
明治大学へ進学サッカー部に所属します。
すると、在学中に日本代表に抜擢されるほど注目され、
卒業後の1981年には当時の日本リーグ日産自動車サッカー部(現在の横浜F・マリノス)へ入部します。
ただ、この時代はまだJリーグが無く日本サッカーはまだまだ不毛な時代。
木村さんも日産では社員として、サッカー以外の時間はデスクワークなどをこなしていたそうです。
デビューは1981年4月5日の富士通戦。
加入後選手としてやや伸び悩んだ時期もあったそうですが、
1983年当時日産の監督であった後に日本代表監督も務める加茂周さんによって、
右ウイングから攻撃的MFにコンバートされると大きく成長を遂げていきます。
するとチームは前年度の8位から2位へと躍進、天皇杯決勝ではゴールチャンスを演出し、
ヤンマーを2-0と破り初タイトルも獲得するようになります。
そんな木村和司さんの転機は1986年、当時あったプロサッカー選手登録制度
「スペシャル・ライセンス・プレーヤー」の第1号選手となります。
これは、すでにドイツでブンデスリーガ—として活躍していた奥寺康彦さんが
「プロのまま日本リーグに戻ってくるなら、わしもプロにしてくれ」と
木村さん自ら名乗り出たことで実現。
年俸は1200万円で国産プロ第1号となります。
このプロ契約第1号になりたい!という思いは前年の1985年、
あの伝説のプレーがあったからというのも大きいのではないでしょうか。
その伝説のプレーというのは
今や日本代表がサッカーワールドカップに出るのは、ほぼ「当たり前」の時代となりました。
アジア予選より、本大会の予選リーグをどう勝ち抜いて
決勝トーナメントにまで駒を進めるかが大きな話題ですが、
1980年代はまだまだ日本においてサッカーはマイナー競技。
ワールドカップ出場は夢のまた夢という状況でした。
また、当時の日本代表の試合は、メディアの注目も低く、
スポーツニュースでさえ扱いは小さいものでした。
そんな時代背景で行われたのが1985年のメキシコ・ワールドカップ予選でした。
例えば一次予選、国立競技場で行われた対北朝鮮戦。
日本はホームにも関わらず約3万人の観客のうち7割くらいが北朝鮮のサポーターで、
北朝鮮の応援の方が圧倒的に多かった、そんな状況でした。
この頃の日本代表の実力はアジアでも高い方ではなく、
この試合でも北朝鮮が一方的に攻めて日本は必死に守るという試合展開でしたが、
カウンターのボールが雨でぬかるんだため急に止まり、
それを拾って決めた虎の子の1点を守り切って勝利!ラッキーも重なってのことでした。
この後のアウェイ北朝鮮での試合では、
実に32本のシュートを浴びながら何とか無失点で切り抜けて0-0の引き分けに持ち込み、
1次予選を突破するという状況でした。
次の対戦も、幸運にも力の劣る香港が勝ち上がり。
香港とのホームアンドアウェイの試合を制した日本は、韓国との代表決定戦に進出!
ワールドカップ出場まであと一歩という、今までにない快進撃を見せます。
この韓国との代表決定戦では、ホームアンドアウェイで戦い、
2試合の合計で韓国を上回れば初のワールドカップ出場を果たすことになります。
ただ、この頃の実力は明らかに韓国が上。
韓国はこの2年前に国内リーグをプロ化していて、全員がプロ選手。
更に、過去のワールドカップ予選では、日本は韓国に勝ったことがない時代です。
しかし、光明も少しだけありました。
前年の1984年に行われた日韓定期戦で、木村和司さんがゴールから30メートルの地点で得た
フリーキックによる得点などで、久しぶりに韓国に勝利していて
「これまでの対戦とは違うのでは?」という期待を抱いての一戦だったんです。
木村さんのフリーキックは当時の日本代表の数少ない武器で、
一次予選ではコーナーキックを直接ゴールに蹴り込む離れ業を2回もやりました。
そして迎えた韓国との第一戦、舞台は日本の国立競技場です。
日本代表の選手たちが競技場に着くと、北朝鮮戦以上の歓声が選手たちの耳に届いてきます。
グランドに出てみると、多くの日の丸が振られ日本を応援する6万人を超える大観衆が
選手の目に入ってきます。
そう史上初の「ワールドカップが見える戦い」を見ようと、
今までにない数のファンが駆け付けました。
この頃の日本代表には、あの松木安太郎さん、後に日本代表監督を務める岡田武史さんも
メンバーとして入っています。
そんな日本サッカー界の期待はNHKの山本浩アナウンサーの名実況
「東京・千駄ヶ谷の国立競技場の曇り空の向こうにメキシコの青い空が続いている様な気がします」
にも表れ、期待感が高まる中でのキックオフとなります。
試合は、日本が押し気味に進める展開、しかし前半30分と41分に韓国が得点!
あっという間に2-0。試合前の期待は落胆に変わり
「やはり韓国には敵わないのか・・」という空気が漂ってきます。
しかし、間もなく前半終了という43分に、日本はゴール前でフリーキックのチャンスを得ます。
その距離40m!キッカーは木村和司さん。
カーブを掛けたフリーキックは右上ゴール隅に決まり、2-1!
応援に駆けつけていた大観衆はこのゴールに歓喜、一気に同点の期待も高まります。
1点を追いかける後半は日本が攻勢を掛けますが、
ヘディングシュートがバーを叩くなど、どうしても1点が奪えません。
最後は再び韓国がペースを握り、結局2-1のまま日本は敗れ、
その後に韓国で行われた第2戦でも0-1で敗れ、日本はワールドカップ初出場を逃しました。
結果的には、韓国に力の差を見せつけられることになりましたが、
このときの木村さんのフリーキックは当時の日本のレベルを遥かに超えた希望という意味で
「伝説のフリーキック」と呼ばれるようになりました。
この韓国戦の敗戦が大きなきっかけの一つとなり、
「日本もプロ化をしなければ」という機運が高まり、
やがて現在のJリーグ発足へとつながっていきます。
そのJリーグは地域密着で下部組織を作り、そこで子供たちの育成に力を入れてきました。
その結果、今や日本代表は世界のクラブからの選手がほとんどという程、
個々のレベルは上がったのです。
あの時代、唯一の世界レベルだった木村和司さんのフリーキック。
あのプレーの熱狂、その後の落胆が現在の日本のサッカーレベルと作るきっかけとなった。
だからこそ「伝説」なのかもしれません。
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「木村和司 伝説のフリーキック」
日本のスポーツ界にはベテランの域に達しても、
今なおトップ選手として現役を続けている人を「レジェンド」と称することがあります。
そのルーツはジャンプの葛西紀明選手がヨーロッパでそう言われていることを
2014年のソチ五輪でメダルを獲得し、
その年の新語流行語大賞のトップ10入りしたことも大きく影響しました。
その流れが来るはるか前に、あるプレーに対して「レジェンド」・・
日本語でいう「伝説」という称号が付いたものがありました。
そのプレーを生み出した方が、7月19日64歳のお誕生日という元サッカー選手木村和司さんです。
木村 和司さんは1958年7月19日、広島市生まれの元サッカー選手、
現役時代のポジションは主に攻撃的MFという選手でした。
広島大河FCで腕を磨き、県立広島工業高校時代は高校選手権でベスト4の成績を残し
明治大学へ進学サッカー部に所属します。
すると、在学中に日本代表に抜擢されるほど注目され、
卒業後の1981年には当時の日本リーグ日産自動車サッカー部(現在の横浜F・マリノス)へ入部します。
ただ、この時代はまだJリーグが無く日本サッカーはまだまだ不毛な時代。
木村さんも日産では社員として、サッカー以外の時間はデスクワークなどをこなしていたそうです。
デビューは1981年4月5日の富士通戦。
加入後選手としてやや伸び悩んだ時期もあったそうですが、
1983年当時日産の監督であった後に日本代表監督も務める加茂周さんによって、
右ウイングから攻撃的MFにコンバートされると大きく成長を遂げていきます。
するとチームは前年度の8位から2位へと躍進、天皇杯決勝ではゴールチャンスを演出し、
ヤンマーを2-0と破り初タイトルも獲得するようになります。
そんな木村和司さんの転機は1986年、当時あったプロサッカー選手登録制度
「スペシャル・ライセンス・プレーヤー」の第1号選手となります。
これは、すでにドイツでブンデスリーガ—として活躍していた奥寺康彦さんが
「プロのまま日本リーグに戻ってくるなら、わしもプロにしてくれ」と
木村さん自ら名乗り出たことで実現。
年俸は1200万円で国産プロ第1号となります。
このプロ契約第1号になりたい!という思いは前年の1985年、
あの伝説のプレーがあったからというのも大きいのではないでしょうか。
その伝説のプレーというのは
今や日本代表がサッカーワールドカップに出るのは、ほぼ「当たり前」の時代となりました。
アジア予選より、本大会の予選リーグをどう勝ち抜いて
決勝トーナメントにまで駒を進めるかが大きな話題ですが、
1980年代はまだまだ日本においてサッカーはマイナー競技。
ワールドカップ出場は夢のまた夢という状況でした。
また、当時の日本代表の試合は、メディアの注目も低く、
スポーツニュースでさえ扱いは小さいものでした。
そんな時代背景で行われたのが1985年のメキシコ・ワールドカップ予選でした。
例えば一次予選、国立競技場で行われた対北朝鮮戦。
日本はホームにも関わらず約3万人の観客のうち7割くらいが北朝鮮のサポーターで、
北朝鮮の応援の方が圧倒的に多かった、そんな状況でした。
この頃の日本代表の実力はアジアでも高い方ではなく、
この試合でも北朝鮮が一方的に攻めて日本は必死に守るという試合展開でしたが、
カウンターのボールが雨でぬかるんだため急に止まり、
それを拾って決めた虎の子の1点を守り切って勝利!ラッキーも重なってのことでした。
この後のアウェイ北朝鮮での試合では、
実に32本のシュートを浴びながら何とか無失点で切り抜けて0-0の引き分けに持ち込み、
1次予選を突破するという状況でした。
次の対戦も、幸運にも力の劣る香港が勝ち上がり。
香港とのホームアンドアウェイの試合を制した日本は、韓国との代表決定戦に進出!
ワールドカップ出場まであと一歩という、今までにない快進撃を見せます。
この韓国との代表決定戦では、ホームアンドアウェイで戦い、
2試合の合計で韓国を上回れば初のワールドカップ出場を果たすことになります。
ただ、この頃の実力は明らかに韓国が上。
韓国はこの2年前に国内リーグをプロ化していて、全員がプロ選手。
更に、過去のワールドカップ予選では、日本は韓国に勝ったことがない時代です。
しかし、光明も少しだけありました。
前年の1984年に行われた日韓定期戦で、木村和司さんがゴールから30メートルの地点で得た
フリーキックによる得点などで、久しぶりに韓国に勝利していて
「これまでの対戦とは違うのでは?」という期待を抱いての一戦だったんです。
木村さんのフリーキックは当時の日本代表の数少ない武器で、
一次予選ではコーナーキックを直接ゴールに蹴り込む離れ業を2回もやりました。
そして迎えた韓国との第一戦、舞台は日本の国立競技場です。
日本代表の選手たちが競技場に着くと、北朝鮮戦以上の歓声が選手たちの耳に届いてきます。
グランドに出てみると、多くの日の丸が振られ日本を応援する6万人を超える大観衆が
選手の目に入ってきます。
そう史上初の「ワールドカップが見える戦い」を見ようと、
今までにない数のファンが駆け付けました。
この頃の日本代表には、あの松木安太郎さん、後に日本代表監督を務める岡田武史さんも
メンバーとして入っています。
そんな日本サッカー界の期待はNHKの山本浩アナウンサーの名実況
「東京・千駄ヶ谷の国立競技場の曇り空の向こうにメキシコの青い空が続いている様な気がします」
にも表れ、期待感が高まる中でのキックオフとなります。
試合は、日本が押し気味に進める展開、しかし前半30分と41分に韓国が得点!
あっという間に2-0。試合前の期待は落胆に変わり
「やはり韓国には敵わないのか・・」という空気が漂ってきます。
しかし、間もなく前半終了という43分に、日本はゴール前でフリーキックのチャンスを得ます。
その距離40m!キッカーは木村和司さん。
カーブを掛けたフリーキックは右上ゴール隅に決まり、2-1!
応援に駆けつけていた大観衆はこのゴールに歓喜、一気に同点の期待も高まります。
1点を追いかける後半は日本が攻勢を掛けますが、
ヘディングシュートがバーを叩くなど、どうしても1点が奪えません。
最後は再び韓国がペースを握り、結局2-1のまま日本は敗れ、
その後に韓国で行われた第2戦でも0-1で敗れ、日本はワールドカップ初出場を逃しました。
結果的には、韓国に力の差を見せつけられることになりましたが、
このときの木村さんのフリーキックは当時の日本のレベルを遥かに超えた希望という意味で
「伝説のフリーキック」と呼ばれるようになりました。
この韓国戦の敗戦が大きなきっかけの一つとなり、
「日本もプロ化をしなければ」という機運が高まり、
やがて現在のJリーグ発足へとつながっていきます。
そのJリーグは地域密着で下部組織を作り、そこで子供たちの育成に力を入れてきました。
その結果、今や日本代表は世界のクラブからの選手がほとんどという程、
個々のレベルは上がったのです。
あの時代、唯一の世界レベルだった木村和司さんのフリーキック。
あのプレーの熱狂、その後の落胆が現在の日本のサッカーレベルと作るきっかけとなった。
だからこそ「伝説」なのかもしれません。
毎朝6時半頃は「あさミミ!アラカルト」
月曜日は油野純帆ANが担当
「ローカル情報発信!あぶらのチェック」
北海道生活が2年目の油野AN。179市町村のことをもっと知りたい!という
好奇心から、その週にピッタリのご当地情報を紹介する超ローカルコーナーです。
火曜日が「八幡淳のスポーツプレゼンス」
臨場感あふれるスポーツの情報・話題・歴史を紹介していきます!
水曜日が「あさミミ☆リサーチ」!ですが、少しマイナーチェンジします。
毎週ひとつのテーマを設定。皆さんからメッセージをお寄せいただくコーナーになります。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
木曜日が「ナガイの北海道生活研究室」
永井ANがいまリスナーと共有したい「北海道の生活情報」を伝えていきます!
金曜日が「北海道応援!あやサポ」
上田あやが北海道で頑張る「ひと」にスポットライトを当て、全力応援していきます!
帰ってきた!《ツルハ ハッピーライフ 毎日笑顔》
今回のテーマ「 ちょっと遠出の旅グルメ! 」
帰ってきました!「ツルハ ハッピーライフ 毎日笑顔!」
7月と8月毎週月曜日の期間限定でお送りします!(全9回です)
今回のメッセージテーマは
「 ツルハハッピーライフ毎日笑顔~ちょっと遠出の旅グルメ! 」
食は人を笑顔にさせますね。
わざわざ遠出してまで食べたい”あの味”、皆さんありませんか?
その味にはどんな思い出が詰まっていますか?
さらに、いつもその流れで立ち寄る街やお店・風景など、
あなたの鉄板”ちょっと遠出の旅グルメ”お待ちしています!
メッセージをお寄せいただき、番組でご紹介された方には
JCBギフト券1000円分をプレゼントいたしますので、ぜひご参加ください!
メールはasamimi@stv.jp FAXは札幌011-202-7290
「ツルハ ハッピーライフ 毎日笑顔 係」まで!
7月と8月毎週月曜日の期間限定でお送りします!(全9回です)
今回のメッセージテーマは
「 ツルハハッピーライフ毎日笑顔~ちょっと遠出の旅グルメ! 」
食は人を笑顔にさせますね。
わざわざ遠出してまで食べたい”あの味”、皆さんありませんか?
その味にはどんな思い出が詰まっていますか?
さらに、いつもその流れで立ち寄る街やお店・風景など、
あなたの鉄板”ちょっと遠出の旅グルメ”お待ちしています!
メッセージをお寄せいただき、番組でご紹介された方には
JCBギフト券1000円分をプレゼントいたしますので、ぜひご参加ください!
メールはasamimi@stv.jp FAXは札幌011-202-7290
「ツルハ ハッピーライフ 毎日笑顔 係」まで!
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小学生夏休み作文コンクールのご参加お待ちしています!