今朝の放送内容 2月7日 (水)
2024年2月7日(水)
今朝の放送内容
今朝の主なニュース・スポーツ情報
●母親とみられる遺体を遺棄か 死体遺棄の疑いで女を逮捕 札幌市東区
●長崎の中学生を札幌に連れ出し 札幌工業高校女性職員を未成年者誘拐容疑で逮捕
●派遣社員として働きながら生活保護費申請 62歳男を逮捕 札幌市
●シャチ数頭が流氷に囲まれ身動きできず 救出は困難 羅臼沖
●能登半島地震 仮設住宅40戸が完成 石川県珠洲市
●KDDI、ローソンにTOB実施を発表 三菱商事と共同経営へ
●民主活動家・周庭さんを指名手配 香港警察「一生追われることになる」
●少子化対策財源の支援金制度 1人あたり負担は月500円弱の見通し 岸田総理
●近づく春節 道内に観光客続々、コロナ禍前に迫る勢い 札幌市はホテル高騰
●実質賃金2年連続減 昨年2.5%減 物価高に届かず
●ファイターズ沖縄キャンプ
バーヘイゲン投手がブルペン入り 万波中世選手は柵越え10本超
●コンサドーレ沖縄キャンプ 名古屋と練習試合
FW大森真吾選手が4試合連続ゴール ポストプレーで存在感
●レバンガ きょうアウェーで千葉J戦
●ドジャース山本由伸投手がキャンプ地入り
●サッカー・メッシ選手 きょう国立で神戸と対戦「神戸は手ごわい」
●長崎の中学生を札幌に連れ出し 札幌工業高校女性職員を未成年者誘拐容疑で逮捕
●派遣社員として働きながら生活保護費申請 62歳男を逮捕 札幌市
●シャチ数頭が流氷に囲まれ身動きできず 救出は困難 羅臼沖
●能登半島地震 仮設住宅40戸が完成 石川県珠洲市
●KDDI、ローソンにTOB実施を発表 三菱商事と共同経営へ
●民主活動家・周庭さんを指名手配 香港警察「一生追われることになる」
●少子化対策財源の支援金制度 1人あたり負担は月500円弱の見通し 岸田総理
●近づく春節 道内に観光客続々、コロナ禍前に迫る勢い 札幌市はホテル高騰
●実質賃金2年連続減 昨年2.5%減 物価高に届かず
●ファイターズ沖縄キャンプ
バーヘイゲン投手がブルペン入り 万波中世選手は柵越え10本超
●コンサドーレ沖縄キャンプ 名古屋と練習試合
FW大森真吾選手が4試合連続ゴール ポストプレーで存在感
●レバンガ きょうアウェーで千葉J戦
●ドジャース山本由伸投手がキャンプ地入り
●サッカー・メッシ選手 きょう国立で神戸と対戦「神戸は手ごわい」
今朝の選曲
【6時台】
M「未来のミュージアム/ Perfume 」
M「ラ・クカラーチャ/トリオ・ロス・パンチョス」
M「未来のミュージアム/ Perfume 」
M「ラ・クカラーチャ/トリオ・ロス・パンチョス」
あさミミ!アラカルト~八幡淳のスポーツプレゼンス
八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「 マリオ似ている外国人 カルロス・ポンセ 」
1985年、昭和60年は日本の子供たちがとあるブームに沸いた1年となりました。
それが任天堂ファミリーコンピュータソフト「スーパーマリオブラザーズ」の発売です。
そのスーパーマリオブラザーズ発売翌年の1986年3月、
日本のプロ野球にまるでその主人公スーパーマリオが
画面から飛び出したような選手が現れます。
その選手こそ、今日65歳のお誕生日を迎えるカルロス・ポンセさんです。
カルロス・ポンセさん本名カルロス・アントニオ・ポンセ・ディアスさんは
1959年2月7日 プエルトリコ出身の元プロ野球選手。
プエルトリコの首都・サンファン郊外のリオピエドラスという町で育ったポンセさん、
お父様も野球をやっていたということもあり、
その影響で9歳の時に地元のリトルリーグのチームに入団。
歳を重ねるごとに実力をつけていきましたが、
高校時代には陸上競技もやっていたという身体能力の持ち主でした。
プエルトリコには「ウインターリーグ」というプロリーグもありましたが、
もっぱら試合を見るよりは体を動かすことのほうが好きだったようで、プレーに没頭していきます。
すると、高校時代にはナショナルチームのメンバーにも選ばれ、
セントラルアメリカンゲームやパンアメリカンリーグといった国際大会にも出場、
その活躍もありアメリカ本土の大学から奨学金を得て、南ジョージア大学へ進学を果たします。
ただ、本人曰く「本当の意味でスキルアップしたのはこの時から」と言う大学時代ですが、
このころ全米はおろか世界各国から逸材が集まるという大学野球のレベルでは、
それまで他を圧倒していた実力を発揮!というわけにはいかなかったそうです。
在学中には挫折し、特に苦手だった守備面で自信を無くすこともあり、
野球から離れた時期もあったそうです。
そんなときポンセさんにとあるスカウトがこんな言葉をかけたそうです。
「君は肩は強いほうじゃないけど、グラブさばきは悪くない。
ファーストをやったらどうだい?」
もともと苦手だった守備より得意な打撃をアピールすることで
磨きをかけていったポンセさんに、プロから声がかかります。
1980年、ポンセさんはミルウォーキー・ブルワーズ傘下の
アドバンス・ルーキー級ビュートでプロデビュー。
MLBのドラフトにはかからず、アマチュアFAとしてのプロ入りでしたが、
その後、順調に実力をつけ、84年には3Aまで昇格。
そしてこの頃、オフにはプエルトリコのウインターリーグでプレー。
当時のウインターリーグにはバリバリのメジャーリーガーも多数参加していて、
中には通算1406盗塁の世界記録保持者リッキー・ヘンダーソンもいたそうで、
彼らの姿を間近で見たポンセさんはメジャーへの思いを募らせていったそうです。
そして1985年、ついにメジャーデビューを果たします。
ただ、この頃のブルワーズには役者がそろっていて
なかなかポンセさんの出番はありませんでした。
そして翌年の春のキャンプで球団からは「3Aのバンクーバーに行くか、
日本に行くか、どちらかを選べ」といわれたそうです。
ただ、決断は早くブルワーズが提示した契約金6万8000ドル(当時のレートで約1150万円)より、
日本の大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)のほうが
4000ドルほど高い契約を提示していたために即決。
この時期、大洋はブルワーズと業務提携をしており、
大洋はポンセさんに目をつけていたそうです。
ポンセさん「日本で2年プレーして、ブルワーズに戻るつもりで契約」
日本でのキャリアがスタートします。
来日後は元来の明るい性格もあってすぐにチームには溶け込めたというポンセさん。
ただ、当初は、三塁手として起用、もともと得意ではなかった守備面と
リトルリーグの時以来という三塁では送球難とエラー続出で、
シーズン27失策(三塁手として17失策、ちなみに去年パ・リーグ最多はロッテ安田の17)を
記録してしまいます。
ただ、ポンセさんにとっての幸運はシーズン中盤に当時一塁手だった田代富雄さんの故障離脱。
このことで、二塁手の山下大輔さんが三塁に回り、一塁を守るようになります。
さらに外野手の加藤博一さんも離脱したため、外野へ回ると守備の負担も軽減。
この年、打率.322、27本塁打、105打点を記録。
さらに14歳のころから伸ばし始めたという自慢の口ひげも役に立ちます。
そうです、前の年から空前の大ヒットとなったスーパーマリオブラザーズの「マリオ」に似ていると、
子供たちの間でも人気急上昇。
2年目の1987年には全130試合に出場し打率.323、35本塁打、98打点とさらに成績を上げ、
打点王を獲得。
ベストナインにも選ばれ、159安打はセ・リーグ最多安打。
3年目の1988年には初のオールスターゲームにも出場。
シーズン33本塁打、102打点で、本塁打・打点の2冠王、ベストナインに選ばれました。
ただ、30代を迎えた1989年は動体視力の低下(遠視の悪化)から三振が急増、
シーズン途中から眼鏡をかけて出場するも打率.264、24本塁打81打点、
最多二塁打・三塁打は記録するものの、4番としては物足りない成績となります。
さらに翌1990年はジョーイ・マイヤーの入団で二軍生活が長くなり、
この年限りで退団となります。
1991年はエクスポズの春季キャンプに参加したものの、
「もう無理だ」と悟り2週間で引退を決意。指導者に転身します。
1999年にはブルワーズ傘下のストックトンで監督を務めるなど、
マイナー球団の打撃コーチや監督を7年間歴任しますが、
ここからはなんとバドワイザーのビールを運搬するトラックの運転手へ転身。
約16年ほどトラックドライバーをして過ごします。
そんなポンセさんにある日連絡が入ります。
ドライバー生活と並行して行なっていたジュニア世代へのバッティング指導の延長として、
2019年にYouTubeチャンネルを開設していましたが、
それを見た台湾プロ野球チームの味全ドラゴンズの関係者からFacebookの
メッセンジャー機能を通じて連絡が入り、翌20年からファームリーグの打撃コーチとして
指導を行なうことになったそうです。
コーチ業はこの1年のみでしたが、今も日本のプロ野球OB会に所属。
夢は「横浜でカントクをしたい」とのこと。
もし実現する日が来たら、
僕もポンセ見たさにベイスターズ観戦に行くかもしれません。
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「 マリオ似ている外国人 カルロス・ポンセ 」
1985年、昭和60年は日本の子供たちがとあるブームに沸いた1年となりました。
それが任天堂ファミリーコンピュータソフト「スーパーマリオブラザーズ」の発売です。
そのスーパーマリオブラザーズ発売翌年の1986年3月、
日本のプロ野球にまるでその主人公スーパーマリオが
画面から飛び出したような選手が現れます。
その選手こそ、今日65歳のお誕生日を迎えるカルロス・ポンセさんです。
カルロス・ポンセさん本名カルロス・アントニオ・ポンセ・ディアスさんは
1959年2月7日 プエルトリコ出身の元プロ野球選手。
プエルトリコの首都・サンファン郊外のリオピエドラスという町で育ったポンセさん、
お父様も野球をやっていたということもあり、
その影響で9歳の時に地元のリトルリーグのチームに入団。
歳を重ねるごとに実力をつけていきましたが、
高校時代には陸上競技もやっていたという身体能力の持ち主でした。
プエルトリコには「ウインターリーグ」というプロリーグもありましたが、
もっぱら試合を見るよりは体を動かすことのほうが好きだったようで、プレーに没頭していきます。
すると、高校時代にはナショナルチームのメンバーにも選ばれ、
セントラルアメリカンゲームやパンアメリカンリーグといった国際大会にも出場、
その活躍もありアメリカ本土の大学から奨学金を得て、南ジョージア大学へ進学を果たします。
ただ、本人曰く「本当の意味でスキルアップしたのはこの時から」と言う大学時代ですが、
このころ全米はおろか世界各国から逸材が集まるという大学野球のレベルでは、
それまで他を圧倒していた実力を発揮!というわけにはいかなかったそうです。
在学中には挫折し、特に苦手だった守備面で自信を無くすこともあり、
野球から離れた時期もあったそうです。
そんなときポンセさんにとあるスカウトがこんな言葉をかけたそうです。
「君は肩は強いほうじゃないけど、グラブさばきは悪くない。
ファーストをやったらどうだい?」
もともと苦手だった守備より得意な打撃をアピールすることで
磨きをかけていったポンセさんに、プロから声がかかります。
1980年、ポンセさんはミルウォーキー・ブルワーズ傘下の
アドバンス・ルーキー級ビュートでプロデビュー。
MLBのドラフトにはかからず、アマチュアFAとしてのプロ入りでしたが、
その後、順調に実力をつけ、84年には3Aまで昇格。
そしてこの頃、オフにはプエルトリコのウインターリーグでプレー。
当時のウインターリーグにはバリバリのメジャーリーガーも多数参加していて、
中には通算1406盗塁の世界記録保持者リッキー・ヘンダーソンもいたそうで、
彼らの姿を間近で見たポンセさんはメジャーへの思いを募らせていったそうです。
そして1985年、ついにメジャーデビューを果たします。
ただ、この頃のブルワーズには役者がそろっていて
なかなかポンセさんの出番はありませんでした。
そして翌年の春のキャンプで球団からは「3Aのバンクーバーに行くか、
日本に行くか、どちらかを選べ」といわれたそうです。
ただ、決断は早くブルワーズが提示した契約金6万8000ドル(当時のレートで約1150万円)より、
日本の大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)のほうが
4000ドルほど高い契約を提示していたために即決。
この時期、大洋はブルワーズと業務提携をしており、
大洋はポンセさんに目をつけていたそうです。
ポンセさん「日本で2年プレーして、ブルワーズに戻るつもりで契約」
日本でのキャリアがスタートします。
来日後は元来の明るい性格もあってすぐにチームには溶け込めたというポンセさん。
ただ、当初は、三塁手として起用、もともと得意ではなかった守備面と
リトルリーグの時以来という三塁では送球難とエラー続出で、
シーズン27失策(三塁手として17失策、ちなみに去年パ・リーグ最多はロッテ安田の17)を
記録してしまいます。
ただ、ポンセさんにとっての幸運はシーズン中盤に当時一塁手だった田代富雄さんの故障離脱。
このことで、二塁手の山下大輔さんが三塁に回り、一塁を守るようになります。
さらに外野手の加藤博一さんも離脱したため、外野へ回ると守備の負担も軽減。
この年、打率.322、27本塁打、105打点を記録。
さらに14歳のころから伸ばし始めたという自慢の口ひげも役に立ちます。
そうです、前の年から空前の大ヒットとなったスーパーマリオブラザーズの「マリオ」に似ていると、
子供たちの間でも人気急上昇。
2年目の1987年には全130試合に出場し打率.323、35本塁打、98打点とさらに成績を上げ、
打点王を獲得。
ベストナインにも選ばれ、159安打はセ・リーグ最多安打。
3年目の1988年には初のオールスターゲームにも出場。
シーズン33本塁打、102打点で、本塁打・打点の2冠王、ベストナインに選ばれました。
ただ、30代を迎えた1989年は動体視力の低下(遠視の悪化)から三振が急増、
シーズン途中から眼鏡をかけて出場するも打率.264、24本塁打81打点、
最多二塁打・三塁打は記録するものの、4番としては物足りない成績となります。
さらに翌1990年はジョーイ・マイヤーの入団で二軍生活が長くなり、
この年限りで退団となります。
1991年はエクスポズの春季キャンプに参加したものの、
「もう無理だ」と悟り2週間で引退を決意。指導者に転身します。
1999年にはブルワーズ傘下のストックトンで監督を務めるなど、
マイナー球団の打撃コーチや監督を7年間歴任しますが、
ここからはなんとバドワイザーのビールを運搬するトラックの運転手へ転身。
約16年ほどトラックドライバーをして過ごします。
そんなポンセさんにある日連絡が入ります。
ドライバー生活と並行して行なっていたジュニア世代へのバッティング指導の延長として、
2019年にYouTubeチャンネルを開設していましたが、
それを見た台湾プロ野球チームの味全ドラゴンズの関係者からFacebookの
メッセンジャー機能を通じて連絡が入り、翌20年からファームリーグの打撃コーチとして
指導を行なうことになったそうです。
コーチ業はこの1年のみでしたが、今も日本のプロ野球OB会に所属。
夢は「横浜でカントクをしたい」とのこと。
もし実現する日が来たら、
僕もポンセ見たさにベイスターズ観戦に行くかもしれません。
毎朝6時半頃は「あさミミ!アラカルト」
月曜日は「あさミミ流!#(ハッシュタグ)今週の献立」
週の始まり月曜日は、1週間の献立・レシピをリスナーの皆さんのアイディアの下
“あさミミ流”にご紹介していきます!
火曜日は「庭野ほのかの☆いっぺこトーク」
新潟県出身の庭野ほのかAN。「いっぺこと」とは、新潟県の方言で『沢山』という意味。
このコーナーを通して“沢山”リスナーの皆さんとお話ができるよう、
庭野AN目線の話題を毎週お届けしていきます!
水曜日は「八幡淳のスポーツプレゼンス」
臨場感あふれるスポーツの情報・話題・歴史を紹介していきます!
木曜火は「ナガイの北海道生活研究室」
永井ANがいまリスナーと共有したい「北海道の生活情報」を伝えていきます!
金曜日は「北海道応援!あやサポ」
上田あやが北海道で頑張る「ひと」にスポットライトを当て、全力応援していきます!