今朝の放送内容 8月2日(月)
2021年8月2日(月)
8月2日(月)
今朝の主なニュース・スポーツ情報
●新型コロナ きのう新規感染者 道内267人 東京3058人
●きょうから札幌市でまん延防止等重点措置が適用
●きのう札幌で五輪マラソンのリハーサル
●東京五輪プレイブックに28人が違反
●SNSでの日本選手らへの中傷を監視
●福岡県中間市 熱中症で園児死亡 保育園を家宅捜索
●小樽で車同士が衝突し4人死傷
●小樽で飲酒運転の検問
●根室で北方領土返還の市民大会
●ベラルーシの陸上選手 帰国を拒否し保護求める
●道内9日連続の猛暑日
●東京五輪 体操男子種目別あん馬 萱が銅メダル
●ゴルフ 松山英樹 プレーオフで脱落し日本人初のメダル逃す
●競泳女子400mメドレーリレー 池江出場の日本は8位
●男子バレー 29年ぶりの決勝トーナメント進出
●レスリング 男子グレコローマン60キロ級 文田が銀以上確定
●陸上男子100m 小樽出身・小池ら3人とも予選落ち
●陸上女子100mハードル 準決勝 札幌出身・寺田が敗退
●バスケット男子予選リーグ 全敗
●きょうから札幌市でまん延防止等重点措置が適用
●きのう札幌で五輪マラソンのリハーサル
●東京五輪プレイブックに28人が違反
●SNSでの日本選手らへの中傷を監視
●福岡県中間市 熱中症で園児死亡 保育園を家宅捜索
●小樽で車同士が衝突し4人死傷
●小樽で飲酒運転の検問
●根室で北方領土返還の市民大会
●ベラルーシの陸上選手 帰国を拒否し保護求める
●道内9日連続の猛暑日
●東京五輪 体操男子種目別あん馬 萱が銅メダル
●ゴルフ 松山英樹 プレーオフで脱落し日本人初のメダル逃す
●競泳女子400mメドレーリレー 池江出場の日本は8位
●男子バレー 29年ぶりの決勝トーナメント進出
●レスリング 男子グレコローマン60キロ級 文田が銀以上確定
●陸上男子100m 小樽出身・小池ら3人とも予選落ち
●陸上女子100mハードル 準決勝 札幌出身・寺田が敗退
●バスケット男子予選リーグ 全敗
今朝の選曲
【5時台】
M「ビューティフル・エネルギー/甲斐バンド」
【6時台】
M「DRIVE ME CRAZY /山下久美子」
【7時台】
M「マンデー・マンデー/ママス・アンド・パパス」
M「ビューティフル・エネルギー/甲斐バンド」
【6時台】
M「DRIVE ME CRAZY /山下久美子」
【7時台】
M「マンデー・マンデー/ママス・アンド・パパス」
あさミミ!アラカルト〜八幡淳のスポーツプレゼンス
北海道日本ハムファイターズのスタジアムDJ、
レバンガ北海道のホームゲームMCで培っている八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は 『 オリンピック陸上のお話 』
熱戦が繰り広げられている東京2020オリンピック。
日本選手のメダルは8/1(日)までで金17個・銀5個・銅9個、合わせて31個のメダルを獲得しています。
金メダルについての歴史をご紹介しまと
大会前までのメダル数に関しては、このコーナーでもご紹介してきました。
1位が体操、2位が柔道、3位が競泳、4位がレスリング、5位は陸上です。
大会前までに25個のメダルを獲得しているこの陸上、初めてのメダルは1928年のアムステルダム大会、
陸上男子三段跳びの織田幹雄さんが金メダル、更に陸上女子800メートルで人見絹枝さんが銀メダルでした。
実はこの金メダルの織田さんは全オリンピック競技の中で「日本人初のオリンピック金メダリスト」であり、
アジア人としても個人初のオリンピック金メダリストでもあるという歴史を作った方でした。
しかも同じ日に銀メダルを獲得した人見絹枝さんこそ、日本人女性初のオリンピックメダリストなんです。
更にこの人見絹枝さんの次に陸上女子でメダリストとなるのは、1992年バルセロナのマラソン女子で
銀メダルを獲得した有森裕子さんまでいませんでした。
尚、織田幹雄さんの金メダルに引き続き1932年のロサンゼルス大会で三段跳びで金メダルを獲得したのは
ご存知どさんこ初の金メダリスト南部忠平さん、そして、1936年のベルリン大会でも田島直人さんが
三段跳びで金メダルを取っていますので、三段跳びでは3大会連続での日本人金メダリストが
誕生しているということになります。
そんな織田さんはその後行われる前回1964年の東京オリンピックでは陸上競技日本代表総監督として、
また陸上競技監督は南部忠平さんが指揮を執るなど「織田・南部体制」で強化を図ったことから、
「日本陸上界の父」「陸上界の神様」ともいわれ、戦後日本全国で陸上競技を指導普及した
いわば育ての親のような存在であり、国際オリンピック委員会(IOC)オリンピック功労賞も受賞された人物でした。
そんな織田さんは1964年の東京オリンピックでとある戦略を実行します。
本来は1万メートル、あるいは2万メートルを専門とするとある男子選手に対し、
そのスピードに注目してマラソンを走ることを勧めるんです。
その選手とは1964年の東京大会男子マラソン銅メダリストの円谷幸吉さんです。
円谷幸吉さんは、1940年5月13日、福島県岩瀬郡須賀川町に生まれ。
福島県立須賀川高校卒業後、1959年、陸上自衛隊へ入隊。郡山駐屯地に配属となり、
同僚と二人で郡山自衛隊陸上部を立ち上げます。
次第にその実績が認められ、実力を発揮していきます。
そして1962年、前年に東京オリンピックの候補育成のために設立された自衛隊体育学校に入校。
持病の腰痛もあり満足に走れなかった円谷さんを、コーチと教官が根気づよく指導し治療を続けた結果、
レースに復帰し10月の日本選手権で5000mで日本歴代2位の記録を出し、
日本陸連からオリンピック強化指定選手に選ばれます。
更に円谷さんは翌年の1963年8月には20000mで世界記録を更新。
10月の競技会では好記録を連発して10000mのオリンピック代表選手に選ばれます。
しかし、ここで当時の日本陸上競技連盟の強化本部長だった織田幹雄さんは円谷さんのスピードに着目して
マラソンを走ることを勧めます。
その後円谷さんは、東京オリンピック開催年の1964年3月、中日マラソンで初マラソンに挑戦。
2時間23分31秒で5位となります。それからわずか約3週間後の4月12日、オリンピックの最終選考会となる
毎日マラソンでは2時間18分20秒で君原健二さんに次ぐ2位となり、マラソンでもオリンピック代表となりました。
そして、1964年の東京大会も佳境を迎えた10月21日、男子マラソン競技の号砲が鳴り響きます。
レースはエチオピアのアベベが独走態勢に入り、その後追随を許さず当時の世界最高記録2時間12分11秒2で
史上初めてオリンピックのマラソン連覇を果たします。
次に旧東京国立競技場に姿を現したのが、この年の3月にマラソン転向したばかりの円谷幸吉さんでした。
大歓声に迎えられた円谷さんですが、この時すぐ後方にイギリスのベイジル・ヒートリー選手が迫ってきます。
その後デッドヒートとなりますが、ゴールを目前に抜き去られ銅メダル。
ただ、この銅メダルはこの東京大会陸上唯一のメダルで「日本陸上界を救った」と称賛されます。
ただ、その後の円谷さんは銅メダルに終わったことに責任を感じ、
「次のメキシコオリンピックではアベベに勝利し、銅メダル以上の成績を収める」とインタビューで答え、
これを「国民との約束」と表現し、東京オリンピックの疲れを取る間もなく練習に励みます。
ところが、オリンピック終了後は各地にメダリストとしてゲストに呼ばれ多忙を極め
練習にも集中できない状況が続きます。
その後、円谷さんを支えてきたコーチ陣も次々に解任や左遷などを受け「チーム円谷」は崩壊。
そこに両足のアキレスけん断裂、持病の椎間板ヘルニア、若手の台頭など、
さらに、結婚を約束していた女性がほかの男性に嫁いだという話が重なってか
メキシコオリンピックが開かれる1968年1月9日、円谷さんは自らその命を絶ってしまいます。
遺書には「父上様、母上様、幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒お許しください」とあったそうです。享年27歳早すぎる死でした。
今、東京2020オリンピックに出場している選手のSNSには心無い誹謗中傷も届いていると聞きます。
今も昔も国を代表して出場している選手のプレッシャーははかり知ることができません。
選手に対しては結果いかんにかかわらず、健闘をたたえるというのが本来あるべき姿なのではないかと
円谷さんの悲劇を回想するたびに強く思います。
レバンガ北海道のホームゲームMCで培っている八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は 『 オリンピック陸上のお話 』
熱戦が繰り広げられている東京2020オリンピック。
日本選手のメダルは8/1(日)までで金17個・銀5個・銅9個、合わせて31個のメダルを獲得しています。
金メダルについての歴史をご紹介しまと
大会前までのメダル数に関しては、このコーナーでもご紹介してきました。
1位が体操、2位が柔道、3位が競泳、4位がレスリング、5位は陸上です。
大会前までに25個のメダルを獲得しているこの陸上、初めてのメダルは1928年のアムステルダム大会、
陸上男子三段跳びの織田幹雄さんが金メダル、更に陸上女子800メートルで人見絹枝さんが銀メダルでした。
実はこの金メダルの織田さんは全オリンピック競技の中で「日本人初のオリンピック金メダリスト」であり、
アジア人としても個人初のオリンピック金メダリストでもあるという歴史を作った方でした。
しかも同じ日に銀メダルを獲得した人見絹枝さんこそ、日本人女性初のオリンピックメダリストなんです。
更にこの人見絹枝さんの次に陸上女子でメダリストとなるのは、1992年バルセロナのマラソン女子で
銀メダルを獲得した有森裕子さんまでいませんでした。
尚、織田幹雄さんの金メダルに引き続き1932年のロサンゼルス大会で三段跳びで金メダルを獲得したのは
ご存知どさんこ初の金メダリスト南部忠平さん、そして、1936年のベルリン大会でも田島直人さんが
三段跳びで金メダルを取っていますので、三段跳びでは3大会連続での日本人金メダリストが
誕生しているということになります。
そんな織田さんはその後行われる前回1964年の東京オリンピックでは陸上競技日本代表総監督として、
また陸上競技監督は南部忠平さんが指揮を執るなど「織田・南部体制」で強化を図ったことから、
「日本陸上界の父」「陸上界の神様」ともいわれ、戦後日本全国で陸上競技を指導普及した
いわば育ての親のような存在であり、国際オリンピック委員会(IOC)オリンピック功労賞も受賞された人物でした。
そんな織田さんは1964年の東京オリンピックでとある戦略を実行します。
本来は1万メートル、あるいは2万メートルを専門とするとある男子選手に対し、
そのスピードに注目してマラソンを走ることを勧めるんです。
その選手とは1964年の東京大会男子マラソン銅メダリストの円谷幸吉さんです。
円谷幸吉さんは、1940年5月13日、福島県岩瀬郡須賀川町に生まれ。
福島県立須賀川高校卒業後、1959年、陸上自衛隊へ入隊。郡山駐屯地に配属となり、
同僚と二人で郡山自衛隊陸上部を立ち上げます。
次第にその実績が認められ、実力を発揮していきます。
そして1962年、前年に東京オリンピックの候補育成のために設立された自衛隊体育学校に入校。
持病の腰痛もあり満足に走れなかった円谷さんを、コーチと教官が根気づよく指導し治療を続けた結果、
レースに復帰し10月の日本選手権で5000mで日本歴代2位の記録を出し、
日本陸連からオリンピック強化指定選手に選ばれます。
更に円谷さんは翌年の1963年8月には20000mで世界記録を更新。
10月の競技会では好記録を連発して10000mのオリンピック代表選手に選ばれます。
しかし、ここで当時の日本陸上競技連盟の強化本部長だった織田幹雄さんは円谷さんのスピードに着目して
マラソンを走ることを勧めます。
その後円谷さんは、東京オリンピック開催年の1964年3月、中日マラソンで初マラソンに挑戦。
2時間23分31秒で5位となります。それからわずか約3週間後の4月12日、オリンピックの最終選考会となる
毎日マラソンでは2時間18分20秒で君原健二さんに次ぐ2位となり、マラソンでもオリンピック代表となりました。
そして、1964年の東京大会も佳境を迎えた10月21日、男子マラソン競技の号砲が鳴り響きます。
レースはエチオピアのアベベが独走態勢に入り、その後追随を許さず当時の世界最高記録2時間12分11秒2で
史上初めてオリンピックのマラソン連覇を果たします。
次に旧東京国立競技場に姿を現したのが、この年の3月にマラソン転向したばかりの円谷幸吉さんでした。
大歓声に迎えられた円谷さんですが、この時すぐ後方にイギリスのベイジル・ヒートリー選手が迫ってきます。
その後デッドヒートとなりますが、ゴールを目前に抜き去られ銅メダル。
ただ、この銅メダルはこの東京大会陸上唯一のメダルで「日本陸上界を救った」と称賛されます。
ただ、その後の円谷さんは銅メダルに終わったことに責任を感じ、
「次のメキシコオリンピックではアベベに勝利し、銅メダル以上の成績を収める」とインタビューで答え、
これを「国民との約束」と表現し、東京オリンピックの疲れを取る間もなく練習に励みます。
ところが、オリンピック終了後は各地にメダリストとしてゲストに呼ばれ多忙を極め
練習にも集中できない状況が続きます。
その後、円谷さんを支えてきたコーチ陣も次々に解任や左遷などを受け「チーム円谷」は崩壊。
そこに両足のアキレスけん断裂、持病の椎間板ヘルニア、若手の台頭など、
さらに、結婚を約束していた女性がほかの男性に嫁いだという話が重なってか
メキシコオリンピックが開かれる1968年1月9日、円谷さんは自らその命を絶ってしまいます。
遺書には「父上様、母上様、幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒お許しください」とあったそうです。享年27歳早すぎる死でした。
今、東京2020オリンピックに出場している選手のSNSには心無い誹謗中傷も届いていると聞きます。
今も昔も国を代表して出場している選手のプレッシャーははかり知ることができません。
選手に対しては結果いかんにかかわらず、健闘をたたえるというのが本来あるべき姿なのではないかと
円谷さんの悲劇を回想するたびに強く思います。
毎日のあさミミ!アラカルト ラインナップ
毎朝6時30分頃からは、「あさミミ!アラカルト」と題して、パーソナリティが気になる話題、
パーソナリティの個性を生かした“耳をそばだてたくなる話題”をお届けします。
●月曜「八幡淳のスポーツプレゼンス」
北海道日本ハムファイターズのスタジアムDJ、レバンガ北海道のホームゲームMCで培っている
八幡淳ならではの目線と感覚で、臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題を伝えてます。
●火曜は「奈々子の朝から晩ごはん」
渋谷奈々子が、季節の「旬の食材」をテーマに毎週1品レシピを紹介します。朝イチからその日の晩御飯(晩酌)に役立つ情報をお伝えします。
●水曜「ナガイの北海道生活研究室」
アナウンサー生活32年と防災士資格取得で培った知識を活かし、
いまリスナーと共有したい「北海道の生活情報」を伝えていただきます。
●木曜は「北海道応援!あやサポ!」
上田あやがこれまでのレポーター経験や取材力を生かし、
北海道で頑張る「ひと」にスポットライトを当て、全力応援していきます!
●金曜は リスナー参加型企画「あさミミ☆リサーチ」
いま話題になっている事柄や季節の話題をテーマに、リスナーの皆さんからのメールと
ツイッターのアンケート機能を使って、道民がいまどう思っているか、どう考えているかを調査していきます。
★放送後はラジオクラウドで配信しています★
STVラジオ「ラジオクラウド」であさミミ!アラカルトの模様を配信しています。
アプリをダウンロードの上、ぜひお聴きください♪
STVラジオ「ラジオクラウド」であさミミ!アラカルトの模様を配信しています。
アプリをダウンロードの上、ぜひお聴きください♪
《ツルハ ハッピーライフ 毎日笑顔!》
今週のテーマ「 フォーエバー夏休み 」
今週のテーマは、「冷やしてうまい!」
連日真夏の暑さが続いています。
そんな時は冷たい飲み物・食べ物が欲しくなりますよね!
アイスやビールはもちろんですが、この連日真夏日で改めて気づいた・発見したなど
あなたのおススメ・お気に入り「冷やしてうまい!」教えて下さい!
●シュークリームは一晩冷凍してシューアイス風にして
エクレアはそこまで長くなくて良いのですが、何時間か冷凍庫で冷やして、
外のチョコをパリパリにして食べるのが大好きです。
普通の状態だと中のクリームが柔らかく、食べるのが難しいですよね?
でも冷やすと中のクリームがある程度固まっているので、食べやすいという利点もあります!
●冷やしてと言うか冷えちゃっても旨かったのは「スパゲッティ」
特にミートのスパは冷えても旨いのよー。もれなく小学生時代の給食を想い出します~!!
あと、冷やし茶碗蒸し。何だか卵豆腐的になって旨っ!
連日真夏の暑さが続いています。
そんな時は冷たい飲み物・食べ物が欲しくなりますよね!
アイスやビールはもちろんですが、この連日真夏日で改めて気づいた・発見したなど
あなたのおススメ・お気に入り「冷やしてうまい!」教えて下さい!
●シュークリームは一晩冷凍してシューアイス風にして
エクレアはそこまで長くなくて良いのですが、何時間か冷凍庫で冷やして、
外のチョコをパリパリにして食べるのが大好きです。
普通の状態だと中のクリームが柔らかく、食べるのが難しいですよね?
でも冷やすと中のクリームがある程度固まっているので、食べやすいという利点もあります!
●冷やしてと言うか冷えちゃっても旨かったのは「スパゲッティ」
特にミートのスパは冷えても旨いのよー。もれなく小学生時代の給食を想い出します~!!
あと、冷やし茶碗蒸し。何だか卵豆腐的になって旨っ!
テーマへのメッセージはこちらまでお寄せください。
メール:asamimi@stv.jp FAX:011-202-7290
ハガキ・手紙: 〒060-8705 『ツルハ ハッピーライフ 毎日笑顔』の係までお寄せください!
★毎週おひとりの方に、豪華花王製品詰め合わせをプレゼント
ハガキ・手紙: 〒060-8705 『ツルハ ハッピーライフ 毎日笑顔』の係までお寄せください!
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