今朝の放送内容 2月28日(月)
2022年2月28日(月)
2月28日(月)
今朝の主なニュース・スポーツ情報
●道内感染者2463人・全国6万3千人
●ウクライナ ロシア代表団と「前提条件なし」の会談へ
●バイデン大統領「選択肢は世界大戦か代償」
●岸田総理 ロシアによる更なる制裁措置
●旭川市で男性刺され死亡 容疑者を逮捕
●神恵内村長選 現職が勝利
●道内気温上昇 落雪事故相次ぐ
●「サッポロスマイルトーク」開催
●ピーチ「旅くじ」札幌に登場
●スピードスケート高木奈那選手がSNS更新 感謝の言葉綴る
●バスケットボール日本代表 豪に64-80で敗れる
●サッカー鈴鹿・三浦知良選手が横浜F戦訪問 サポーターに移籍報告
●日本フェンシング協会 W杯ロシア大会 日本は参加辞退
●大阪・びわ湖毎日マラソン 初マラソンの星岳選手が優勝
●アイスホッケー女子日本代表 安平町出身・三浦芽依選手が町長に報告
●コンサドーレ 広島に1-1のドロー 興梠慎三選手が移籍初ゴール
●ファイターズ沖縄キャンプ 札幌市出身・今川優馬選手が135m特大弾
●ジャンプW杯個人第21戦 小林陵侑選手が今季8勝目
●ウクライナ ロシア代表団と「前提条件なし」の会談へ
●バイデン大統領「選択肢は世界大戦か代償」
●岸田総理 ロシアによる更なる制裁措置
●旭川市で男性刺され死亡 容疑者を逮捕
●神恵内村長選 現職が勝利
●道内気温上昇 落雪事故相次ぐ
●「サッポロスマイルトーク」開催
●ピーチ「旅くじ」札幌に登場
●スピードスケート高木奈那選手がSNS更新 感謝の言葉綴る
●バスケットボール日本代表 豪に64-80で敗れる
●サッカー鈴鹿・三浦知良選手が横浜F戦訪問 サポーターに移籍報告
●日本フェンシング協会 W杯ロシア大会 日本は参加辞退
●大阪・びわ湖毎日マラソン 初マラソンの星岳選手が優勝
●アイスホッケー女子日本代表 安平町出身・三浦芽依選手が町長に報告
●コンサドーレ 広島に1-1のドロー 興梠慎三選手が移籍初ゴール
●ファイターズ沖縄キャンプ 札幌市出身・今川優馬選手が135m特大弾
●ジャンプW杯個人第21戦 小林陵侑選手が今季8勝目
今朝の選曲
【5時台】
M「虹色の湖/中村晃子」
【6時台】
M「わたし/リュックと添い寝ごはん」
【7時台】
M「フォロー・スルー/ギャビン・デグロウ」
M「虹色の湖/中村晃子」
【6時台】
M「わたし/リュックと添い寝ごはん」
【7時台】
M「フォロー・スルー/ギャビン・デグロウ」
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この春で渋谷奈々子さん”あさミミ”を卒業します。詳しくは「あさミミ!アフタートークを観る」をチェック!!
あさミミ!アラカルト〜八幡淳のスポーツプレゼンス
北海道日本ハムファイターズのスタジアムDJ、
レバンガ北海道のホームゲームMCで培っている八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は『 日本に革命をもたらしたウォーリー与那嶺 』
今週には札幌ドームでもBIGBOSS率いる新生ファイターズの試合がいよいよ行われます。
そんなBIGBOSSは今年選手に走塁技術を重点的に教える場面があり、
目指す野球も「ノーヒットで1点を取る野球」というものを目標の一つとして掲げています。
そんな走塁。今では当たり前と言われている技術を持ち込んだ、いわば革命をもたらした人物がいます。
その方は、2011年今日2月28日、85歳の生涯を閉じた
本名ウォレス・カナメ・ヨナミネ、日本名与那嶺要、通称ウォーリー与那嶺さんです。
与那嶺さんは1925年(大正14年)6月24日アメリカ合衆国ハワイ準州マウイ島オロワル生まれのアスリート。
お父様は沖縄県、お母様は広島県出身のハワイ移民日系2世です。
与那嶺さんがスポーツ選手として世間で初めて注目を浴びたのは、1944年オワフ島に移った後、
ホノルル市のアメリカンフットボール大会で“伝説のハーフバック”として
ファーリントン高校を初優勝に導いたときでした。
第2次世界大戦後には、サンフランシスコ・フォーティナイナーズ・・
このチームは現在NFLの名門チームですが、
当時はNFLとは別のAAFCというリーグに所属していましたがプロ契約を結びます。
これはアジア系アメリカ人初となる当時の快挙といわれる出来事でした。
ハーフバックとして49ersで活躍していた与那嶺さんですが、オフにハワイへ帰郷した際、
野球を楽しんでいたところ左手首を骨折!これが原因で、49ersを退団します。
次にハワイアン・ウォリアーズというチームでプレーできたのですが、
今度は2年目に左肩を脱臼してフットボール選手としての現役続行を断念せざるを得ませんでした。
ただ、スポーツ万能な与那嶺さんは1950年、今度は野球に転向。
マイナーリーグAAA級のサンフランシスコ・シールズ傘下、C級ソルトレイクシティ・ビーズに入団。
この年打率.335を打ってリーグ5位に入り、翌年の2A昇格も決まっていたそうです。
しかし、人生・・何があるかわかりません。この年のオフにホノルルで行われた、
ハワイ選抜対パ・リーグ選抜に出場すると、アメリカマイナーとは違う日本プロ野球選手の好待遇を知り、
一気に日本でのプレーを望むように気持ちが傾きます。
そんな中、与那嶺さんの気持ちを知ってか知らずか、当時シールズ監督を務めていた
レフティ・オドールさんの勧めもあって、1951年シーズン途中の6月2日に来日、終戦直後でもあり、
アメリカ国籍の選手が日本プロ野球でプレーするのは戦後初めてということから、
日本人への影響を踏まえて慎重に検討されたのち、6月19日ようやく2年契約の年俸100万円で読売ジャイアンツに入団。
戦後初の外国人選手となりました。
与那嶺さんのデビューは契約当日の6月19日の中日戦。2点リードされた7回裏無死一二塁の場面で、
代打を探すためにコーチボックスからダグアウトへ戻った監督の水原茂さんに対して、
与那嶺さんは「I'll try!」(やります!)と叫んで、初打席に代打として起用されます。
そこで与那嶺さんは中日の投手、フォークボールの神様といわれる杉下茂さんから
いきなり三塁線に絶妙のセーフティバントを決めます。
この試合巨人はサヨナラ勝ちでしたが、翌日の新聞紙面を飾ったのは与那嶺さんのバントでした。
実は当時まだセーフティーバントが珍しかった時代で、サヨナラ勝利よりもインパクトがあったことがわかります。
そんな与那嶺さんは走塁も際だっていました。
トップバッターに起用されるようになり、優れた打撃技術だけでなく、
持ち前の快足に加えて、今は危険なのでできませんが、後のスタンダードなプレーとなる併殺崩しのスライディングや
ホーム突入時の激しいクロスプレイなど、アメフトの経験を生かした本場仕込みの走塁技術を発揮。
1年目は今でいう規定打席不足ながら打率.354、26盗塁を記録します。
1952年には1972年張本勲さんに抜かれるまで日本記録となる年間猛打賞22回を記録。
カツカレーの生みの親、千葉茂さんと1、2番コンビを組み、2年後の1954年にはついに
打率.361で首位打者を獲得する活躍を果たし、1957年にはセ・リーグMVPを受賞するまでになります。
与那嶺さんの革命は先のアグレッシブな走塁にとどまりません。
相手の虚をつく走塁で記録した通算最多ホームスチールは11回は現在でもNPB記録、
1951年に記録したシーズン最多ホームスチール5回もいまだNPB記録、
同年に記録した1試合最多ホームスチール2回もいまだNPB記録、
これも同年の1イニング最多盗塁3はいまだにNPBタイ記録。
その他、その身体能力を生かしたフライ球のダイビングキャッチ。
そして、選手を引退してから中日の監督になるとヘッドコーチに据えた近藤貞雄さんとともに
先発—中継ぎという投手分業制を推進。
完投を重視する当時は革命的なことで、当時9連覇中だった巨人の10連覇を阻止するという名監督でもありました。
そんな革命家の与那嶺さんですが、人柄はとてもやさしく先の激しいスライディングの際も
「僕は相手にケガをさせない。スパイクの金具を向けてスライディングなんて絶対にしないヨ」
というマナーは守る選手でしたし、なにより有名な逸話が、
とある少年が後楽園球場で試合を観戦した際、観戦に来た大勢のファンと同様、
巨人の選手達に向かってサインを希望した時のことです。
周囲の少年達はサイン用の色紙や本格的な硬球を差し出しサインを希望したんですが、
経済的に豊かとは言えなかったその少年はおもちゃのゴムボールを差し出し、
そこにどうにかサインをもらおうと頑張っていたそうです。
ただ、選手達も忙しいこともあり、少年の粗末で目立たないゴムボールなどは見向きもされなかった中、
与那嶺さんだけはその少年のゴムボールに気付き、立ち止まって快くサインに応じてくれたそうです。
今のようにファンサービスファーストでない時代にプロ野球選手のお手本ともいえるサービスをした与那嶺さん。
その少年はずっとそのことを覚えていて、大人になっても与那嶺さんのようなサービスをできるだけする
プロ野球選手になりたいと思いをかなえたのが、後のホームラン王「王貞治」さんでした。
さまざまな革命を日本野球にもたらした与那嶺さん死から、今日で11年となります。
天国からプロ野球に革命を起こすといったファンサービスファーストのBIGBOSS野球をどのようにご覧になるのでしょうか。
レバンガ北海道のホームゲームMCで培っている八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は『 日本に革命をもたらしたウォーリー与那嶺 』
今週には札幌ドームでもBIGBOSS率いる新生ファイターズの試合がいよいよ行われます。
そんなBIGBOSSは今年選手に走塁技術を重点的に教える場面があり、
目指す野球も「ノーヒットで1点を取る野球」というものを目標の一つとして掲げています。
そんな走塁。今では当たり前と言われている技術を持ち込んだ、いわば革命をもたらした人物がいます。
その方は、2011年今日2月28日、85歳の生涯を閉じた
本名ウォレス・カナメ・ヨナミネ、日本名与那嶺要、通称ウォーリー与那嶺さんです。
与那嶺さんは1925年(大正14年)6月24日アメリカ合衆国ハワイ準州マウイ島オロワル生まれのアスリート。
お父様は沖縄県、お母様は広島県出身のハワイ移民日系2世です。
与那嶺さんがスポーツ選手として世間で初めて注目を浴びたのは、1944年オワフ島に移った後、
ホノルル市のアメリカンフットボール大会で“伝説のハーフバック”として
ファーリントン高校を初優勝に導いたときでした。
第2次世界大戦後には、サンフランシスコ・フォーティナイナーズ・・
このチームは現在NFLの名門チームですが、
当時はNFLとは別のAAFCというリーグに所属していましたがプロ契約を結びます。
これはアジア系アメリカ人初となる当時の快挙といわれる出来事でした。
ハーフバックとして49ersで活躍していた与那嶺さんですが、オフにハワイへ帰郷した際、
野球を楽しんでいたところ左手首を骨折!これが原因で、49ersを退団します。
次にハワイアン・ウォリアーズというチームでプレーできたのですが、
今度は2年目に左肩を脱臼してフットボール選手としての現役続行を断念せざるを得ませんでした。
ただ、スポーツ万能な与那嶺さんは1950年、今度は野球に転向。
マイナーリーグAAA級のサンフランシスコ・シールズ傘下、C級ソルトレイクシティ・ビーズに入団。
この年打率.335を打ってリーグ5位に入り、翌年の2A昇格も決まっていたそうです。
しかし、人生・・何があるかわかりません。この年のオフにホノルルで行われた、
ハワイ選抜対パ・リーグ選抜に出場すると、アメリカマイナーとは違う日本プロ野球選手の好待遇を知り、
一気に日本でのプレーを望むように気持ちが傾きます。
そんな中、与那嶺さんの気持ちを知ってか知らずか、当時シールズ監督を務めていた
レフティ・オドールさんの勧めもあって、1951年シーズン途中の6月2日に来日、終戦直後でもあり、
アメリカ国籍の選手が日本プロ野球でプレーするのは戦後初めてということから、
日本人への影響を踏まえて慎重に検討されたのち、6月19日ようやく2年契約の年俸100万円で読売ジャイアンツに入団。
戦後初の外国人選手となりました。
与那嶺さんのデビューは契約当日の6月19日の中日戦。2点リードされた7回裏無死一二塁の場面で、
代打を探すためにコーチボックスからダグアウトへ戻った監督の水原茂さんに対して、
与那嶺さんは「I'll try!」(やります!)と叫んで、初打席に代打として起用されます。
そこで与那嶺さんは中日の投手、フォークボールの神様といわれる杉下茂さんから
いきなり三塁線に絶妙のセーフティバントを決めます。
この試合巨人はサヨナラ勝ちでしたが、翌日の新聞紙面を飾ったのは与那嶺さんのバントでした。
実は当時まだセーフティーバントが珍しかった時代で、サヨナラ勝利よりもインパクトがあったことがわかります。
そんな与那嶺さんは走塁も際だっていました。
トップバッターに起用されるようになり、優れた打撃技術だけでなく、
持ち前の快足に加えて、今は危険なのでできませんが、後のスタンダードなプレーとなる併殺崩しのスライディングや
ホーム突入時の激しいクロスプレイなど、アメフトの経験を生かした本場仕込みの走塁技術を発揮。
1年目は今でいう規定打席不足ながら打率.354、26盗塁を記録します。
1952年には1972年張本勲さんに抜かれるまで日本記録となる年間猛打賞22回を記録。
カツカレーの生みの親、千葉茂さんと1、2番コンビを組み、2年後の1954年にはついに
打率.361で首位打者を獲得する活躍を果たし、1957年にはセ・リーグMVPを受賞するまでになります。
与那嶺さんの革命は先のアグレッシブな走塁にとどまりません。
相手の虚をつく走塁で記録した通算最多ホームスチールは11回は現在でもNPB記録、
1951年に記録したシーズン最多ホームスチール5回もいまだNPB記録、
同年に記録した1試合最多ホームスチール2回もいまだNPB記録、
これも同年の1イニング最多盗塁3はいまだにNPBタイ記録。
その他、その身体能力を生かしたフライ球のダイビングキャッチ。
そして、選手を引退してから中日の監督になるとヘッドコーチに据えた近藤貞雄さんとともに
先発—中継ぎという投手分業制を推進。
完投を重視する当時は革命的なことで、当時9連覇中だった巨人の10連覇を阻止するという名監督でもありました。
そんな革命家の与那嶺さんですが、人柄はとてもやさしく先の激しいスライディングの際も
「僕は相手にケガをさせない。スパイクの金具を向けてスライディングなんて絶対にしないヨ」
というマナーは守る選手でしたし、なにより有名な逸話が、
とある少年が後楽園球場で試合を観戦した際、観戦に来た大勢のファンと同様、
巨人の選手達に向かってサインを希望した時のことです。
周囲の少年達はサイン用の色紙や本格的な硬球を差し出しサインを希望したんですが、
経済的に豊かとは言えなかったその少年はおもちゃのゴムボールを差し出し、
そこにどうにかサインをもらおうと頑張っていたそうです。
ただ、選手達も忙しいこともあり、少年の粗末で目立たないゴムボールなどは見向きもされなかった中、
与那嶺さんだけはその少年のゴムボールに気付き、立ち止まって快くサインに応じてくれたそうです。
今のようにファンサービスファーストでない時代にプロ野球選手のお手本ともいえるサービスをした与那嶺さん。
その少年はずっとそのことを覚えていて、大人になっても与那嶺さんのようなサービスをできるだけする
プロ野球選手になりたいと思いをかなえたのが、後のホームラン王「王貞治」さんでした。
さまざまな革命を日本野球にもたらした与那嶺さん死から、今日で11年となります。
天国からプロ野球に革命を起こすといったファンサービスファーストのBIGBOSS野球をどのようにご覧になるのでしょうか。
毎日のあさミミ!アラカルト ラインナップ
毎朝6時30分頃からは、「あさミミ!アラカルト」と題して、パーソナリティが気になる話題、
パーソナリティの個性を生かした“耳をそばだてたくなる話題”をお届けします。
●月曜「八幡淳のスポーツプレゼンス」
北海道日本ハムファイターズのスタジアムDJ、レバンガ北海道のホームゲームMCで培っている
八幡淳ならではの目線と感覚で、臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題を伝えてます。
●火曜は「奈々子の朝から晩ごはん」
渋谷奈々子が、季節の「旬の食材」をテーマに毎週1品レシピを紹介します。朝イチからその日の晩御飯(晩酌)に役立つ情報をお伝えします。
●水曜「ナガイの北海道生活研究室」
アナウンサー生活32年と防災士資格取得で培った知識を活かし、
いまリスナーと共有したい「北海道の生活情報」を伝えていただきます。
●木曜は「北海道応援!あやサポ!」
上田あやがこれまでのレポーター経験や取材力を生かし、
北海道で頑張る「ひと」にスポットライトを当て、全力応援していきます!
●金曜は リスナー参加型企画「あさミミ☆リサーチ」
いま話題になっている事柄や季節の話題をテーマに、リスナーの皆さんからのメールと
ツイッターのアンケート機能を使って、道民がいまどう思っているか、どう考えているかを調査していきます。
★放送後はラジオクラウドで配信しています★
STVラジオ「ラジオクラウド」であさミミ!アラカルトの模様を配信しています。
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STVラジオ「ラジオクラウド」であさミミ!アラカルトの模様を配信しています。
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《ツルハ ハッピーライフ 毎日笑顔!》
今週のテーマ「 青春!学生時代の泣き笑い ]
今週のテーマは、「 青春!学生時代の泣き笑い 」
来週は3月です。卒業式シーズンですね。
学生時代のことをちょっと思い出して・振り返ってみてください。
勉強が大変だった・人間関係がうまくいかなかったなど
大変なこともあれど、きっと笑顔で笑って泣いて楽しかった思い出があるはずです。
あなたの青春時代の泣き笑いエピソード、お待ちしています!
今回は小学生夏休み作文コンクール2021~未来のボク・未来のワタシ~の受賞作品をご紹介しました。
各賞につきましては、STVラジオのイベント情報をご覧下さい!
来週は3月です。卒業式シーズンですね。
学生時代のことをちょっと思い出して・振り返ってみてください。
勉強が大変だった・人間関係がうまくいかなかったなど
大変なこともあれど、きっと笑顔で笑って泣いて楽しかった思い出があるはずです。
あなたの青春時代の泣き笑いエピソード、お待ちしています!
今回は小学生夏休み作文コンクール2021~未来のボク・未来のワタシ~の受賞作品をご紹介しました。
各賞につきましては、STVラジオのイベント情報をご覧下さい!
テーマへのメッセージはこちらまでお寄せください。
メール:asamimi@stv.jp FAX:011-202-7290
ハガキ・手紙: 〒060-8705 『ツルハ ハッピーライフ 毎日笑顔』の係までお寄せください!
★毎週おひとりの方に、豪華花王製品詰め合わせをプレゼント
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