今朝の放送内容 5月24日(火)
2022年5月24日(火)
5月24日(火)
今朝の主なニュース・スポーツ情報
●沈没観光船 きょう引き上げへ
●日米首脳会談 岸田総理が防衛費の「相当な増額」伝える
●バイデン大統領 IPEF発足を宣言
●バイデン大統領 拉致被害者の家族と面会
●西区の新築工事中の住宅で火事
●道内感染者1468人 全国1万8千人
●阿武町に3500万円あまり返還か 決済代行業者
●日本医師会 中川会長退任へ
●美瑛町に新たな観光施設「藍染結いの杜」
●ロシアのウクライナ侵攻から3カ月
●女子テニス全仏オープン 大坂なおみ選手が1回戦敗退
●きのうの大リーグ
エンゼルス大谷翔平選手が日米通算150号HR
パイレーツ筒香嘉智選手が今季2号HR
●プロ野球セ・パ交流戦がきょう開幕
●春の高校野球全道大会が開幕 16校が頂点へ
●ファイターズ きょうからヤクルト3連戦
●コンサドーレ あすホームで柏戦 中野小次郎選手が先発へ
●日米首脳会談 岸田総理が防衛費の「相当な増額」伝える
●バイデン大統領 IPEF発足を宣言
●バイデン大統領 拉致被害者の家族と面会
●西区の新築工事中の住宅で火事
●道内感染者1468人 全国1万8千人
●阿武町に3500万円あまり返還か 決済代行業者
●日本医師会 中川会長退任へ
●美瑛町に新たな観光施設「藍染結いの杜」
●ロシアのウクライナ侵攻から3カ月
●女子テニス全仏オープン 大坂なおみ選手が1回戦敗退
●きのうの大リーグ
エンゼルス大谷翔平選手が日米通算150号HR
パイレーツ筒香嘉智選手が今季2号HR
●プロ野球セ・パ交流戦がきょう開幕
●春の高校野球全道大会が開幕 16校が頂点へ
●ファイターズ きょうからヤクルト3連戦
●コンサドーレ あすホームで柏戦 中野小次郎選手が先発へ
今朝の選曲
【6時台】
M「狼なんか怖くない/石野真子」
【7時台】
M「天国への扉(Knockin’on Heaven's Door )/ボブ・ディラン」
M「狼なんか怖くない/石野真子」
【7時台】
M「天国への扉(Knockin’on Heaven's Door )/ボブ・ディラン」
あさミミ!アラカルト〜八幡淳のスポーツプレゼンス
八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は『 どさんこ初の金メダリスト 南部忠平 』
今年行われた北京冬季オリンピックで、多くのどさんこアスリートが活躍いたしましたが、
中でも輝きを放った選手が幕別町出身髙木美帆選手。
1000mで金、1500m、500m、団体追抜き、いずれも銀という4つのメダル
夏冬を通じてオリンピックでの日本女子選手最多だった柔道の谷亮子さん、
アーティスティックスイミングの立花美哉さん、武田美保さんの5個を上回る史上最多、
通算の7個のメダルを獲得しました。
そんな世界に誇れるアスリートは何も現代だけではありません。
1932年、ロサンゼルスで行われた第10回オリンピック競技大会、
陸上男子三段跳びで金メダルを獲得した人こそ、
1904年(明治37年)の今日5月24日札幌で生まれた陸上アスリート南部忠平さんです。
南部忠平さんは1904年(明治37年)5月24日、
札幌中心部の狸小路商店街1丁目で酒屋「三国屋南部源蔵商店」を営んでいた
南部源蔵さんの3男として生まれます。
店員さんを80人ほど雇い、市内の13の分店をはじめ、小樽、旭川の支店、
それから夕張の鹿ノ谷から樺太にまで進出、手広く商売をしていたというお店でした。
さらに、札幌豊平区の天神山にある平岸天満宮は南部忠平さんのお父様、
源蔵さんが福岡出身ということで、1903年(明治36年)に、
太宰府天満宮から移したもので現在でも札幌の受験生も合格祈願に訪れる神社となっています。
そんな当時としては、比較的裕福な環境で育った南部忠平さんは腕白な子供だったものの、
体はあまり強くなく、小学4年から始めた乗馬で体力を養ったそうです。
やがて、北海中学に進学すると、3年の時に上級生にスカウトされて徒歩部(現在の陸上競技部)に入部。
ただ、当時の部長は柔道家で陸上競技の指導ができず、当初は試合に出ては負けを繰り返します。
しかし、大日本体育協会(現・日本スポーツ協会)主催の千葉県で行われた
夏季練習会に参加した同級生が、1920年のアントワープオリンピックに
陸上競技で出場した野口源三郎さんらから技術を学んで帰り、練習法を確立。
旧制中学5年には全道中学校陸上選手権で100m、200m、走幅跳の3冠を達成する選手にまで成長します。
1924年(大正13年)にはパリオリンピックの代表選考会に出場し、
三段跳で織田幹雄さんを破って優勝。
ちなみにこの織田幹雄さんは後に1928年のアムステルダムオリンピックで
日本人初の金メダルを三段跳びで獲得する選手なんですが・・
「織田に勝ったら殴られる」という噂を鵜呑みにして札幌に逃げ帰ったため代表選手には選ばれなかった、
というエピソードも残っています。
また南部さんは珍エピソードに事欠かない方で、
札幌の百貨店の階段でトレーニングを行って、従業員にたたき出されたり、
冬場も雪の上を走ることで足腰を鍛えたほか、
当時冬場は運休も多かった札幌市電の線路をレーンに見立てて練習したり、
札幌駅の機関車のロッドや札幌競馬場の競走馬のスタートなどから走り方を研究していたという、
練習やトレーニングにも創意工夫を欠かさなかった方でした。
パリ・オリンピックの予選後は当時陸上競技が盛んだった札幌鉄道局に就職、
初の国際大会を経験した後、早稲田大学競走部からの強い勧誘もあって、
1926年(大正15年)に早稲田大学へ進学。走幅跳を本職として研鑽を積みます。
そんな中、出場した1928年(昭和3年)のアムステルダムオリンピックでは陸上男子三段跳で4位に入賞。
1929年(昭和4年)早稲田大学を卒業後は、南満州鉄道就職を経て、
スポーツメーカー美津濃(現在のミズノ)に就職、大阪へ移住します。
すると、当時在住していたアムステルダム三段跳び金メダリストの織田幹雄さんと共に
関西大学運動場で猛練習を重ね、1931年(昭和6年)10月27日。
明治神宮外苑競技場で行われた大会で走幅跳当時の世界記録、7m98を出します。
ちなみにこの記録がやぶられるのは39年後の1970年ですので、
いかにこの時の南部忠平さんの記録が突出していたかが分かります。
そして、満を持して1932年(昭和7年)のロサンゼルスオリンピック陸上走り幅跳び代表に選ばれた南部さん。
実はこの時、南部さんは前回アムステルダム三段跳び金メダリストの織田幹雄さんと
「南部さんが走幅跳で、織田さんが三段跳びで手分けして金メダルを取ろう」という約束をして、この大会に臨みます。
しかし、その走り幅跳び決勝では自身の世界記録に遠く50cm以上も及ばない記録で
銅メダルに終わってしまします。
この瞬間南部さんは「もう、終わった・・」とぼうぜん自失だったようで、
競技後にハリウッド映画を観に行ったものの全く内容が頭に入ってこなかったほどだったようです。
しかし、そのすぐ後にコーチから思わぬ指示が出ます。その指示とは「三段跳びにも出て頑張れ」というもの。
実はこの時、本命である織田幹雄さんがひざを痛め、もう一人の代表大島鎌吉さんも、
現地でやけどを負って下半身を包帯で巻いている状態だったそうです。
こうして急きょ出場した三段跳び決勝、トップの選手と10cm差の2位につけていた南部さんは、
チームドクターに「今日はアキレスけんを切るくらい思い切り飛んできます」の
言葉を残して挑んだ跳躍は15メートル72。
なんとこれが当時の世界新記録となる跳躍となり、代役で出場したにもかかわらず
本命ではない三段跳びで見事金メダルを獲得。走り幅跳びの銅メダルと合わせて
オリンピック1大会での複数メダルを獲得した初の陸上競技選手となりました。
もちろんどさんこ選手初の金メダリストで有り、かつ複数メダリスト誕生となりました。
引退後は大阪毎日新聞運動部長・日本陸上競技連盟強化部コーチ・1964年東京オリンピック日本陸上チーム監督などを歴任。
その功績がたたえられ1988年からは南部忠平記念陸上競技大会が
札幌円山陸上競技場などで開催去れるようになり、
その円山競技場には北海中学の旧友という本郷新さん作の「南部忠平顕彰碑」がたてられています。
そんな南部さんの半生を関係者のインタビュー、
小倉智昭さんのナレーションでお届けするSTVラジオ
スポーツ特別番組「ガッテンショー!〜南部忠平 走って跳んで一世紀〜」が
5月29日(日) 24:30〜25:10 放送です!
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は『 どさんこ初の金メダリスト 南部忠平 』
今年行われた北京冬季オリンピックで、多くのどさんこアスリートが活躍いたしましたが、
中でも輝きを放った選手が幕別町出身髙木美帆選手。
1000mで金、1500m、500m、団体追抜き、いずれも銀という4つのメダル
夏冬を通じてオリンピックでの日本女子選手最多だった柔道の谷亮子さん、
アーティスティックスイミングの立花美哉さん、武田美保さんの5個を上回る史上最多、
通算の7個のメダルを獲得しました。
そんな世界に誇れるアスリートは何も現代だけではありません。
1932年、ロサンゼルスで行われた第10回オリンピック競技大会、
陸上男子三段跳びで金メダルを獲得した人こそ、
1904年(明治37年)の今日5月24日札幌で生まれた陸上アスリート南部忠平さんです。
南部忠平さんは1904年(明治37年)5月24日、
札幌中心部の狸小路商店街1丁目で酒屋「三国屋南部源蔵商店」を営んでいた
南部源蔵さんの3男として生まれます。
店員さんを80人ほど雇い、市内の13の分店をはじめ、小樽、旭川の支店、
それから夕張の鹿ノ谷から樺太にまで進出、手広く商売をしていたというお店でした。
さらに、札幌豊平区の天神山にある平岸天満宮は南部忠平さんのお父様、
源蔵さんが福岡出身ということで、1903年(明治36年)に、
太宰府天満宮から移したもので現在でも札幌の受験生も合格祈願に訪れる神社となっています。
そんな当時としては、比較的裕福な環境で育った南部忠平さんは腕白な子供だったものの、
体はあまり強くなく、小学4年から始めた乗馬で体力を養ったそうです。
やがて、北海中学に進学すると、3年の時に上級生にスカウトされて徒歩部(現在の陸上競技部)に入部。
ただ、当時の部長は柔道家で陸上競技の指導ができず、当初は試合に出ては負けを繰り返します。
しかし、大日本体育協会(現・日本スポーツ協会)主催の千葉県で行われた
夏季練習会に参加した同級生が、1920年のアントワープオリンピックに
陸上競技で出場した野口源三郎さんらから技術を学んで帰り、練習法を確立。
旧制中学5年には全道中学校陸上選手権で100m、200m、走幅跳の3冠を達成する選手にまで成長します。
1924年(大正13年)にはパリオリンピックの代表選考会に出場し、
三段跳で織田幹雄さんを破って優勝。
ちなみにこの織田幹雄さんは後に1928年のアムステルダムオリンピックで
日本人初の金メダルを三段跳びで獲得する選手なんですが・・
「織田に勝ったら殴られる」という噂を鵜呑みにして札幌に逃げ帰ったため代表選手には選ばれなかった、
というエピソードも残っています。
また南部さんは珍エピソードに事欠かない方で、
札幌の百貨店の階段でトレーニングを行って、従業員にたたき出されたり、
冬場も雪の上を走ることで足腰を鍛えたほか、
当時冬場は運休も多かった札幌市電の線路をレーンに見立てて練習したり、
札幌駅の機関車のロッドや札幌競馬場の競走馬のスタートなどから走り方を研究していたという、
練習やトレーニングにも創意工夫を欠かさなかった方でした。
パリ・オリンピックの予選後は当時陸上競技が盛んだった札幌鉄道局に就職、
初の国際大会を経験した後、早稲田大学競走部からの強い勧誘もあって、
1926年(大正15年)に早稲田大学へ進学。走幅跳を本職として研鑽を積みます。
そんな中、出場した1928年(昭和3年)のアムステルダムオリンピックでは陸上男子三段跳で4位に入賞。
1929年(昭和4年)早稲田大学を卒業後は、南満州鉄道就職を経て、
スポーツメーカー美津濃(現在のミズノ)に就職、大阪へ移住します。
すると、当時在住していたアムステルダム三段跳び金メダリストの織田幹雄さんと共に
関西大学運動場で猛練習を重ね、1931年(昭和6年)10月27日。
明治神宮外苑競技場で行われた大会で走幅跳当時の世界記録、7m98を出します。
ちなみにこの記録がやぶられるのは39年後の1970年ですので、
いかにこの時の南部忠平さんの記録が突出していたかが分かります。
そして、満を持して1932年(昭和7年)のロサンゼルスオリンピック陸上走り幅跳び代表に選ばれた南部さん。
実はこの時、南部さんは前回アムステルダム三段跳び金メダリストの織田幹雄さんと
「南部さんが走幅跳で、織田さんが三段跳びで手分けして金メダルを取ろう」という約束をして、この大会に臨みます。
しかし、その走り幅跳び決勝では自身の世界記録に遠く50cm以上も及ばない記録で
銅メダルに終わってしまします。
この瞬間南部さんは「もう、終わった・・」とぼうぜん自失だったようで、
競技後にハリウッド映画を観に行ったものの全く内容が頭に入ってこなかったほどだったようです。
しかし、そのすぐ後にコーチから思わぬ指示が出ます。その指示とは「三段跳びにも出て頑張れ」というもの。
実はこの時、本命である織田幹雄さんがひざを痛め、もう一人の代表大島鎌吉さんも、
現地でやけどを負って下半身を包帯で巻いている状態だったそうです。
こうして急きょ出場した三段跳び決勝、トップの選手と10cm差の2位につけていた南部さんは、
チームドクターに「今日はアキレスけんを切るくらい思い切り飛んできます」の
言葉を残して挑んだ跳躍は15メートル72。
なんとこれが当時の世界新記録となる跳躍となり、代役で出場したにもかかわらず
本命ではない三段跳びで見事金メダルを獲得。走り幅跳びの銅メダルと合わせて
オリンピック1大会での複数メダルを獲得した初の陸上競技選手となりました。
もちろんどさんこ選手初の金メダリストで有り、かつ複数メダリスト誕生となりました。
引退後は大阪毎日新聞運動部長・日本陸上競技連盟強化部コーチ・1964年東京オリンピック日本陸上チーム監督などを歴任。
その功績がたたえられ1988年からは南部忠平記念陸上競技大会が
札幌円山陸上競技場などで開催去れるようになり、
その円山競技場には北海中学の旧友という本郷新さん作の「南部忠平顕彰碑」がたてられています。
そんな南部さんの半生を関係者のインタビュー、
小倉智昭さんのナレーションでお届けするSTVラジオ
スポーツ特別番組「ガッテンショー!〜南部忠平 走って跳んで一世紀〜」が
5月29日(日) 24:30〜25:10 放送です!
毎朝6時半頃は「あさミミ!アラカルト」
月曜日は油野純帆ANが担当
「ローカル情報発信!あぶらのチェック」
北海道生活が2年目の油野AN。179市町村のことをもっと知りたい!という
好奇心から、その週にピッタリのご当地情報を紹介する超ローカルコーナーです。
火曜日が「八幡淳のスポーツプレゼンス」
臨場感あふれるスポーツの情報・話題・歴史を紹介していきます!
水曜日が「あさミミ☆リサーチ」!ですが、少しマイナーチェンジします。
毎週ひとつのテーマを設定。皆さんからメッセージをお寄せいただくコーナーになります。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
木曜日が「ナガイの北海道生活研究室」
永井ANがいまリスナーと共有したい「北海道の生活情報」を伝えていきます!
金曜日が「北海道応援!あやサポ」
上田あやが北海道で頑張る「ひと」にスポットライトを当て、全力応援していきます!