今朝の放送内容 3月7日(月)
2022年3月7日(月)
3月7日(月)
今朝の主なニュース・スポーツ情報
●道内感染者1804人 全国5万3千人
●道内荒天 JR運休相次ぐ
●ロシア軍「一時停戦」せず ウクライナ南部への攻撃続行
●ロシアのウクライナ侵攻「日本に脅威波及」81% 読売世論調査
●札幌でロシア抗議集会
●東区でひったくり 男が逃走
●道警・道庁 公務員オンライン説明会
●災害ボランティアセンター設置訓練 札幌
●由仁町で火災 1人の遺体見つかる
●アルペンスキー女子スーパー大回転 村岡桃佳選手が金メダル 滑降に続く2個目
男子スーパー大回転 森井大輝選手が銅メダル 滑降に続く2個目
網走市出身・狩野亮選手は中盤で転倒「これが僕の実力」
●女子ゴルフ・ダイキンオーキッド 西郷真央選手が初優勝
●スピードスケート世界選手権・オールラウンド部門 高木美帆選手が2位 V逃す
●コンサドーレ 敵地で引き分け 福岡に0—0
●ファイターズ 巨人に4—1 万波選手と今川選手がオープン戦2号ソロ
鶴岡慎也氏最後の二塁送球 引退セレモニー
●スキージャンプW杯女子個人第17戦 高梨沙羅選手が優勝 今季3度目
伊藤有希選手は今季初表彰台の3位 日本勢がダブル表彰台の快挙
●町田瑠唯選手「挑戦楽しみ」 バスケ米プロリーグWNBA参戦へ意気込み
●道内荒天 JR運休相次ぐ
●ロシア軍「一時停戦」せず ウクライナ南部への攻撃続行
●ロシアのウクライナ侵攻「日本に脅威波及」81% 読売世論調査
●札幌でロシア抗議集会
●東区でひったくり 男が逃走
●道警・道庁 公務員オンライン説明会
●災害ボランティアセンター設置訓練 札幌
●由仁町で火災 1人の遺体見つかる
●アルペンスキー女子スーパー大回転 村岡桃佳選手が金メダル 滑降に続く2個目
男子スーパー大回転 森井大輝選手が銅メダル 滑降に続く2個目
網走市出身・狩野亮選手は中盤で転倒「これが僕の実力」
●女子ゴルフ・ダイキンオーキッド 西郷真央選手が初優勝
●スピードスケート世界選手権・オールラウンド部門 高木美帆選手が2位 V逃す
●コンサドーレ 敵地で引き分け 福岡に0—0
●ファイターズ 巨人に4—1 万波選手と今川選手がオープン戦2号ソロ
鶴岡慎也氏最後の二塁送球 引退セレモニー
●スキージャンプW杯女子個人第17戦 高梨沙羅選手が優勝 今季3度目
伊藤有希選手は今季初表彰台の3位 日本勢がダブル表彰台の快挙
●町田瑠唯選手「挑戦楽しみ」 バスケ米プロリーグWNBA参戦へ意気込み
今朝の選曲
【5時台】
M「出発の歌/上条恒彦と六文銭」
【6時台】
M「テルマエ・ロマン/チャットモンチー」
【7時台】
M「ユー・レイズ・ミー・アップ/ケルティック・ウーマン」
M「出発の歌/上条恒彦と六文銭」
【6時台】
M「テルマエ・ロマン/チャットモンチー」
【7時台】
M「ユー・レイズ・ミー・アップ/ケルティック・ウーマン」
あさミミ!アラカルト〜八幡淳のスポーツプレゼンス
北海道日本ハムファイターズのスタジアムDJ、
レバンガ北海道のホームゲームMCで培っている八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は『 先駆者に続き奮闘したブンデスリーガ—尾崎加寿夫 』
現代のアスリートは非常にレベルも高く、より高みを目指して海外プロリーグへと挑戦するという流れは
各スポーツで数多く見られるようになりました。
特にサッカー選手などはワールドカップなど、日本代表に召集さえるメンバーのほとんどが海外リーグ所属の選手で、
そのラインナップを見ているだけでわくわくしてきます。
そんな海外サッカークラブに所属した選手の先駆けと言えば、
1977年、ドイツ1部リーグブンデスリーガーFCケルンに所属した奥寺康彦さんです。
当時日本代表がドイツで分散合宿を行った際に「練習」と称して行われたのが入団テストで
FCケルンの監督に見初められ、帰国3日前に「契約打診」を受け晴れて日本人初のブンデスリーガ—誕生となり、
チームの優勝にも貢献。後にヴェルダー・ブレーメンに移籍しても活躍し、
ブンデスリーガー通算9年で234試合出場、26得点を記録。
これは出場試合数でいうと2017年に長谷部誠選手が更新するまで、
また得点は2014年に岡崎慎司選手が通算28ゴールとするまで、いずれも日本人のブンデスリーガ—最多記録でした。
そんなブンデスリーガ—に日本の選手として2番目にチャレンジしたのが、
今日62歳の誕生日を迎える尾崎加寿夫さんです。
尾崎さんは1960年東京都出身の元サッカー選手。日本大学高校では3年生の時、1977年の全国高校サッカーに出場。
卒業後は三菱重工サッカー部、浦和レッズの前身へ入社します。
ドリブルで切り崩してゴール付近まで突破するスタイルと、得点後にジャンプしながらガッツポーズするシーンが
特徴的なフォワードとして活躍します。
尾崎さんに転機が訪れたのは1981年。日本代表に選出され、
翌1982年6月にジャパンカップキリンワールドサッカー'82に出場、
フェイエノールト戦で4得点を挙げるなど、計6得点と活躍します。
そして7月には日本代表として旧西ドイツ遠征に参加、
この時に対戦したアルミニア・ビーレフェルトのホルスト・ケッペル監督に練習への参加を要請されます。
そして、帰国後の10月には三菱の4年ぶりの日本サッカーリーグ制覇に貢献し、
アシスト王と日本年間最優秀選手賞を受賞。
更に翌1983年6月には1984年のロサンゼルス五輪出場に向けて重要な局面を迎えますが、
なんとトレーニングとなるジャパンカップ'83を体調不良を理由に欠場します。
実は尾崎さん、この期間に無断でドイツへ渡りしアルミニア・ビーレフェルトの練習に参加していた事が発覚します。
これは当時の選手規定に抵触する行為で大問題になったそうです。
いわば嘘をついてドイツへ行ったとして、尾崎さんに対する風当たりは一気に強くなります。
ロサンゼルス五輪出場への重要な戦力として尾崎を日本に留めたいサッカー協会、
一方本場でプロとして挑戦したいという尾崎さん・・互いの思惑がぶつかった結果の騒ぎでしたが、
結局7月に三菱が尾崎さんの意向を尊重する形で退部処分にしたことで解決。
尾崎さんはフリーとなって、協会も移籍証明書を発行。アルミニア・ビーレフェルトとプロ契約を交わすことができ、
日本人二人目のブンデスリーガ—となりました。
尾崎さんの移籍を知ったアルミニア・ビーレフェルトの大半のサポーターは、
「日本人選手のクオリティーはブンデスリーガでは無理だろう?」
「そもそも日本にはまだ、プロリーグもないらしい」という、日本のサッカーに偏見があった時代です。
その偏見を尾崎さんは見事自らのプレーで覆らせます。
83-84シーズンの開幕戦ではアウェーでケルンに3-2の勝利。尾崎さんもいきなり初得点を決めています。
この時はケルンがピエール・リトバルスキーさん(元ドイツ代表で、現役時代はジェフユナイテッド市原などでも
プレーした方)の得点で先制した後に、尾崎さんが1-1の振り出しに戻す同点ゴールを決めたそうです。
そして、1983年11月5日のブレーメン戦では当時所属していた奥寺さんと初対決!
実はこの試合こそ海外プロリーグでの日本人選手同士初対決だったんです。
このシーズンのアルミニア・ビーレフェルトはブンデスリーガ1部の8位、
もう少し運があればUEFAカップ(現在のヨーロッパリーグ)への参加資格を得ていたかもしれないという躍進でした。
残念ながら逃したものの、8位という順位はアルミニア・ビーレフェルトがブンデスリーガへ参加して以降、
クラブ史上ベストの成績だったということで、尾崎さんはそのダッシュ力とテンポで
サポーターを一気に魅了していったそうです。
ただ、2年目の尾崎さん、本来のパフォーマンスを示せなかったそうです。
その結果アルミニア・ビーレフェルトは84-85シーズンに2部へと降格。
尾崎はさんはアルミニアが降格した後も3シーズンプレーしましたが、
結局1年目のパフォーマンスを取り戻せず・・その後はアマチュアを含む複数のクラブを渡り歩き90年に帰国。
古巣の三菱へ復帰し、1993年Jリーグ開幕時にはヴェルディ川崎へ移籍し。リーグ戦に2試合出場、
シーズン終了後に現役を引退します。
ところが尾崎さんがドイツから帰国した30年後、再びアルミニア・ビーレフェルトの名前が日本にも
ニュースとして届けられるようになります。サッカー日本代表「堂安律」選手がレンタルで移籍。
バイエルン・ミュンヘン戦ではブンデスリーガでの初ゴールを決めました。
古くからのサポーターは「堂安もカズオと一緒で、速くて強いドリブルが特徴だよね。
アルミニアの助けになってくれるな。」と喜んでいたということです。
レバンガ北海道のホームゲームMCで培っている八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は『 先駆者に続き奮闘したブンデスリーガ—尾崎加寿夫 』
現代のアスリートは非常にレベルも高く、より高みを目指して海外プロリーグへと挑戦するという流れは
各スポーツで数多く見られるようになりました。
特にサッカー選手などはワールドカップなど、日本代表に召集さえるメンバーのほとんどが海外リーグ所属の選手で、
そのラインナップを見ているだけでわくわくしてきます。
そんな海外サッカークラブに所属した選手の先駆けと言えば、
1977年、ドイツ1部リーグブンデスリーガーFCケルンに所属した奥寺康彦さんです。
当時日本代表がドイツで分散合宿を行った際に「練習」と称して行われたのが入団テストで
FCケルンの監督に見初められ、帰国3日前に「契約打診」を受け晴れて日本人初のブンデスリーガ—誕生となり、
チームの優勝にも貢献。後にヴェルダー・ブレーメンに移籍しても活躍し、
ブンデスリーガー通算9年で234試合出場、26得点を記録。
これは出場試合数でいうと2017年に長谷部誠選手が更新するまで、
また得点は2014年に岡崎慎司選手が通算28ゴールとするまで、いずれも日本人のブンデスリーガ—最多記録でした。
そんなブンデスリーガ—に日本の選手として2番目にチャレンジしたのが、
今日62歳の誕生日を迎える尾崎加寿夫さんです。
尾崎さんは1960年東京都出身の元サッカー選手。日本大学高校では3年生の時、1977年の全国高校サッカーに出場。
卒業後は三菱重工サッカー部、浦和レッズの前身へ入社します。
ドリブルで切り崩してゴール付近まで突破するスタイルと、得点後にジャンプしながらガッツポーズするシーンが
特徴的なフォワードとして活躍します。
尾崎さんに転機が訪れたのは1981年。日本代表に選出され、
翌1982年6月にジャパンカップキリンワールドサッカー'82に出場、
フェイエノールト戦で4得点を挙げるなど、計6得点と活躍します。
そして7月には日本代表として旧西ドイツ遠征に参加、
この時に対戦したアルミニア・ビーレフェルトのホルスト・ケッペル監督に練習への参加を要請されます。
そして、帰国後の10月には三菱の4年ぶりの日本サッカーリーグ制覇に貢献し、
アシスト王と日本年間最優秀選手賞を受賞。
更に翌1983年6月には1984年のロサンゼルス五輪出場に向けて重要な局面を迎えますが、
なんとトレーニングとなるジャパンカップ'83を体調不良を理由に欠場します。
実は尾崎さん、この期間に無断でドイツへ渡りしアルミニア・ビーレフェルトの練習に参加していた事が発覚します。
これは当時の選手規定に抵触する行為で大問題になったそうです。
いわば嘘をついてドイツへ行ったとして、尾崎さんに対する風当たりは一気に強くなります。
ロサンゼルス五輪出場への重要な戦力として尾崎を日本に留めたいサッカー協会、
一方本場でプロとして挑戦したいという尾崎さん・・互いの思惑がぶつかった結果の騒ぎでしたが、
結局7月に三菱が尾崎さんの意向を尊重する形で退部処分にしたことで解決。
尾崎さんはフリーとなって、協会も移籍証明書を発行。アルミニア・ビーレフェルトとプロ契約を交わすことができ、
日本人二人目のブンデスリーガ—となりました。
尾崎さんの移籍を知ったアルミニア・ビーレフェルトの大半のサポーターは、
「日本人選手のクオリティーはブンデスリーガでは無理だろう?」
「そもそも日本にはまだ、プロリーグもないらしい」という、日本のサッカーに偏見があった時代です。
その偏見を尾崎さんは見事自らのプレーで覆らせます。
83-84シーズンの開幕戦ではアウェーでケルンに3-2の勝利。尾崎さんもいきなり初得点を決めています。
この時はケルンがピエール・リトバルスキーさん(元ドイツ代表で、現役時代はジェフユナイテッド市原などでも
プレーした方)の得点で先制した後に、尾崎さんが1-1の振り出しに戻す同点ゴールを決めたそうです。
そして、1983年11月5日のブレーメン戦では当時所属していた奥寺さんと初対決!
実はこの試合こそ海外プロリーグでの日本人選手同士初対決だったんです。
このシーズンのアルミニア・ビーレフェルトはブンデスリーガ1部の8位、
もう少し運があればUEFAカップ(現在のヨーロッパリーグ)への参加資格を得ていたかもしれないという躍進でした。
残念ながら逃したものの、8位という順位はアルミニア・ビーレフェルトがブンデスリーガへ参加して以降、
クラブ史上ベストの成績だったということで、尾崎さんはそのダッシュ力とテンポで
サポーターを一気に魅了していったそうです。
ただ、2年目の尾崎さん、本来のパフォーマンスを示せなかったそうです。
その結果アルミニア・ビーレフェルトは84-85シーズンに2部へと降格。
尾崎はさんはアルミニアが降格した後も3シーズンプレーしましたが、
結局1年目のパフォーマンスを取り戻せず・・その後はアマチュアを含む複数のクラブを渡り歩き90年に帰国。
古巣の三菱へ復帰し、1993年Jリーグ開幕時にはヴェルディ川崎へ移籍し。リーグ戦に2試合出場、
シーズン終了後に現役を引退します。
ところが尾崎さんがドイツから帰国した30年後、再びアルミニア・ビーレフェルトの名前が日本にも
ニュースとして届けられるようになります。サッカー日本代表「堂安律」選手がレンタルで移籍。
バイエルン・ミュンヘン戦ではブンデスリーガでの初ゴールを決めました。
古くからのサポーターは「堂安もカズオと一緒で、速くて強いドリブルが特徴だよね。
アルミニアの助けになってくれるな。」と喜んでいたということです。
毎日のあさミミ!アラカルト ラインナップ
毎朝6時30分頃からは、「あさミミ!アラカルト」と題して、パーソナリティが気になる話題、
パーソナリティの個性を生かした“耳をそばだてたくなる話題”をお届けします。
●月曜「八幡淳のスポーツプレゼンス」
北海道日本ハムファイターズのスタジアムDJ、レバンガ北海道のホームゲームMCで培っている
八幡淳ならではの目線と感覚で、臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題を伝えてます。
●火曜は「奈々子の朝から晩ごはん」
渋谷奈々子が、季節の「旬の食材」をテーマに毎週1品レシピを紹介します。朝イチからその日の晩御飯(晩酌)に役立つ情報をお伝えします。
●水曜「ナガイの北海道生活研究室」
アナウンサー生活32年と防災士資格取得で培った知識を活かし、
いまリスナーと共有したい「北海道の生活情報」を伝えていただきます。
●木曜は「北海道応援!あやサポ!」
上田あやがこれまでのレポーター経験や取材力を生かし、
北海道で頑張る「ひと」にスポットライトを当て、全力応援していきます!
●金曜は リスナー参加型企画「あさミミ☆リサーチ」
いま話題になっている事柄や季節の話題をテーマに、リスナーの皆さんからのメールと
ツイッターのアンケート機能を使って、道民がいまどう思っているか、どう考えているかを調査していきます。
★放送後はラジオクラウドで配信しています★
STVラジオ「ラジオクラウド」であさミミ!アラカルトの模様を配信しています。
アプリをダウンロードの上、ぜひお聴きください♪
STVラジオ「ラジオクラウド」であさミミ!アラカルトの模様を配信しています。
アプリをダウンロードの上、ぜひお聴きください♪
《ツルハ ハッピーライフ 毎日笑顔!》
今週のテーマ「 贈り物・貰い物ストーリー 」
今週のテーマは、「 贈り物・貰い物ストーリー 」
3月は卒業・就職・異動、14日はホワイトデーなど
何かを貰ったり贈ったりすることが多いシーズンです。
ただ、こういった事にはセンスが問われがちです。
感激?仰天?贈り物・貰い物ストーリー、お待ちしています!
今回は小学生夏休み作文コンクール2021~未来のボク・未来のワタシ~の受賞作品をご紹介しました。
各賞につきましては、STVラジオのイベント情報をご覧下さい!
3月は卒業・就職・異動、14日はホワイトデーなど
何かを貰ったり贈ったりすることが多いシーズンです。
ただ、こういった事にはセンスが問われがちです。
感激?仰天?贈り物・貰い物ストーリー、お待ちしています!
今回は小学生夏休み作文コンクール2021~未来のボク・未来のワタシ~の受賞作品をご紹介しました。
各賞につきましては、STVラジオのイベント情報をご覧下さい!
テーマへのメッセージはこちらまでお寄せください。
メール:asamimi@stv.jp FAX:011-202-7290
ハガキ・手紙: 〒060-8705 『ツルハ ハッピーライフ 毎日笑顔』の係までお寄せください!
★毎週おひとりの方に、豪華花王製品詰め合わせをプレゼント
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