今朝の放送内容 3月14日(月)
2022年3月14日(月)
3月14日(月)
今朝の主なニュース・スポーツ情報
●道内感染者1441人 全国5万人
●道内まん延防止 今週判断
●ロシアのウクライナ侵攻 35人が死亡
●ウクライナからの難民を乗せたバスが横転
●道内でウクライナ侵攻抗議集会
●上越新幹線車内でモバイルバッテリーから煙
●江別市大麻で乗用車が正面衝突
●「ボールパーク」市民説明会 北広島
●おたる水族館 今年度の通常営業開始
●IPC会長が閉幕を宣言 全ての競技日程終了
●スピードスケートW杯最終戦 女子1000mで高木美帆選手が優勝 総合2位
男子500mで新浜立也選手が優勝 総合2位
●ヨコハマタイヤゴルフ 西郷真央選手が2位 連続優勝ならず
●渋野日向子選手 米ツアー2戦目で8位タイ
●JFL鈴鹿で三浦知良選手が最年長スタメン出場
●きのうの大相撲春場所結果 一山本・矢後が白星
●コンサドーレ 横浜Mに1-1 ラストワンプレー同点許す
野々村会長ラストゲーム「楽しい9年間だった」
●ファイターズ立野和明投手 初の開幕投手へ前進
●道内まん延防止 今週判断
●ロシアのウクライナ侵攻 35人が死亡
●ウクライナからの難民を乗せたバスが横転
●道内でウクライナ侵攻抗議集会
●上越新幹線車内でモバイルバッテリーから煙
●江別市大麻で乗用車が正面衝突
●「ボールパーク」市民説明会 北広島
●おたる水族館 今年度の通常営業開始
●IPC会長が閉幕を宣言 全ての競技日程終了
●スピードスケートW杯最終戦 女子1000mで高木美帆選手が優勝 総合2位
男子500mで新浜立也選手が優勝 総合2位
●ヨコハマタイヤゴルフ 西郷真央選手が2位 連続優勝ならず
●渋野日向子選手 米ツアー2戦目で8位タイ
●JFL鈴鹿で三浦知良選手が最年長スタメン出場
●きのうの大相撲春場所結果 一山本・矢後が白星
●コンサドーレ 横浜Mに1-1 ラストワンプレー同点許す
野々村会長ラストゲーム「楽しい9年間だった」
●ファイターズ立野和明投手 初の開幕投手へ前進
今朝の選曲
【5時台】
M「愛が生まれた日/藤谷美和子・大内義昭」
【6時台】
M「ハートアップ/絢香&三浦大知」
【7時台】
M「ホール・ニュー・ワールド/レジーナ・ベル&ピーボ・ブライソン」
M「愛が生まれた日/藤谷美和子・大内義昭」
【6時台】
M「ハートアップ/絢香&三浦大知」
【7時台】
M「ホール・ニュー・ワールド/レジーナ・ベル&ピーボ・ブライソン」
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21日(月・祝)は金運おじさんからプレゼントが!
あさミミ!アラカルト〜八幡淳のスポーツプレゼンス
北海道日本ハムファイターズのスタジアムDJ、
レバンガ北海道のホームゲームMCで培っている八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は『 球界の暴れん坊、大沢啓二 』
いよいよプロ野球のシーズンインが来週末25日に迫ってきました。
プロ野球ファンの方々は自分のごひいきチームに「喝!」「あっぱれ!」など様々な苦言や激励をしながら、
シーズン最終盤まで楽しまれることでしょう。
そんな「喝!」「あっぱれ!」・・他局ではありますが、
長らく務められた張本勲さんが発言されていたイメージがあると思いますが、
この言葉は一説によると元々その他局の番組のCM中に張本さんと共にご出演されていた大沢啓二さんが
「あのプレーは本当に喝!だなぁ」とつぶやいたことがきっかけで生まれたとか。
そんな「親分」と言われ非常に存在感のあった大沢啓二さんはご存命なら今日は90歳のお誕生日でした。
大沢啓二さん、本名大沢昭さんは1932年3月14日、神奈川県藤沢市出身元プロ野球選手で
現役時代は外野手をされていました。
プロ野球選手でもあった長男の清さんの影響などもあり、野球を始め、そのほか、
相撲、陸上などの他のスポーツでも秀でた才能を発揮していたこども時代だったそうです。
ただ、そんな大沢さんを語る上で外せないのが、暴れん坊伝説の数々です。
1945年、旧制中学の平塚工業学校に入学しますが、学校内外で暴力事件を度々起こした上、
地元で「大人のチンピラ」相手に喧嘩を起こし警察沙汰。これが原因で退学させられてしまいます。
ただ、1947年4月、長男の清さんの斡旋で、清さんの母校、神奈川県立商工高校に2年生として再入学。
兄に諭されたこともあって、この時から本格的に野球に打ち込むことを決心します。
しかし、迎えた3年生の1951年、夏の甲子園県予選2回戦で逗子開成高と対戦したときにパンドラの箱を開けてしまいます。
この試合では自信を持って投げたストライクゾーン付近の投球をボールと判定されたり、
確実にセーフだと思ったタッチプレーを二度もアウトにされるなど、球審の判定に不服を覚えていきます。
結局この試合は延長戦となり、最後はフォアボールの押し出しでサヨナラ負けを喫してしまいます。
問題はこの後です。
試合終了後、大沢さん、球場のトイレで偶然その審判と遭遇し、他の選手1名とともにその審判を蹴りつけてしまいます。
その結果、神奈川商工高は1年間の出場停止処分となってしまうんです。
ただ後日その後の大沢さんの運命を左右することが起きます。
大沢さんが蹴りつけた審判が大沢さん宅を訪れるんですが、そこで思いもよらぬ話をされます。
その審判員の方は自分が立教大学硬式野球部OBであると名乗った上で、
「君のような野球がうまくて元気のある選手が立教大学には必要なんだ」と、逆にスカウトされたというんです。
その熱意に打たれ野球推薦で立教大学文学部へ進学した大沢さんは、
東京六大学野球リーグでは1年春のリーグ戦から外野手として出場します。
ところが、明治大学監督の島岡吉郎さんが「出身高校が1年間の出場停止処分を受けているのに
大沢が出場しているのはおかしい」と異議を唱え、その結果、母校の神奈川商工の処分が解けるまでの間、
大沢さんも出場停止となってしまいました。
しかし翌1953年春季リーグでは優立教大学の初優勝を経験。
全日本大学野球選手権大会も、決勝で中大を下し初優勝。
その後は明大、早大の二強時代となり優勝には届かなかったものの、
リーグ通算94試合で、打率.255、2本塁打、32打点。ベストナイン2回の成績を収めます。
その功績が認められ卒業後の1956年、南海ホークスに契約金400万円、年俸120万円で入団します。
大学3年のときから、南海、大映スターズ、国鉄スワローズなどのプロ野球チームから
入団の勧誘を受けていたそうなんですが、4年生のときに南海の鶴岡監督から
「大沢君。南海ホークスはどうしても日本一になれない。
そこで、キミと長嶋君、杉浦君との3人の力を借りたい。俺を男にしてくれ」と懇願されます。
大沢さんは「俺を男にしてくれ」との言葉に感激し、南海への入団を決意したということなんだそうです。
実は大沢さんは喧嘩っぱやいところもある反面、人から頼られると「嫌」と言えない性格というか
むしろ「一肌脱ごう」という性格で、大学時代もスパルタ指導で有名な砂押邦信監督のあまりにひどい指導に
泣きついた後輩たちを不憫に思い、監督に意見するということがあったほど情には厚い人でした。
実は南海が大沢さんを獲得したのも、その情に厚い部分を評価し
先ほど出た2学年下の東京六大学のスターである杉浦忠さんと長嶋茂雄さんを
なんとか南海ホークスに入れるための「パイプ役」としての期待もあったようです。
結局杉浦さんは南海入りを果たしましたが、長嶋さんは巨人へ入団。
詳しいいきさつは省きますがこの時も「バカ野郎、今更そんな事言えた義理か」と
長嶋さんにすごんだという逸話残っているほどです。
そんな大沢さんですが、現役時代は非常にクレバーな外野手で、
今では当たり前となっている打者の打球傾向によって守備位置を変える、
また、ライト前ヒットの際に、ボールを拾ってからフェンスに向かって走り、
二塁でランナーをアウトにするというトリックプレーを見せたこともあるという
当時の外野手としては珍しいタイプの選手でした。
そして、実働10年の現役生活を終えた後ロッテの監督を経て、
1976年から日本ハムの監督に就任しますがこの監督時代にもエピソードに事欠かないのが大沢さんでした。
監督通算退場回数6回は日本歴代3位。
ですが、その理由がまたも大沢さんらしいもので、76年6月17日の阪急戦のこと。
日本ハムは4回、後頭部に死球を受けたウイリアムスが、
マウンドの竹村投手に向かっていこうとしましたが、大沢監督が必死に止め、事なきを得ます。
ただ、大沢監督「今度やったら、オレがお前のところに行くぞ」とくぎを刺します。
しかし、竹村投手は5回、今度は上垣内選手の左手にデッドボールが当たるとベンチから大沢監督が猛烈な勢いで飛び出し、
後ろから竹村投手の襟首を掴み、ポカリと殴りつけ・・大沢さんは退場になります。
その竹村投手なんですが、前年は11勝を挙げて、阪急の日本一に貢献しましたが、
この年は結局0勝3敗。翌年も移籍先の阪神で0勝1敗に終わり、戦力外。
そんな竹村投手に手を差し伸べたのも、大沢さんでした。
事件後、竹村さんをずっと気にかけ、「何とかしてやりたい」と翌春のキャンプで20日間テスト。
ただ、「個人の情としては採用してやりたいが、ウチの戦力として計算できない」と断を下し、
竹村さんも納得して現役を引退したということがありました。
そして、選手ファーストの考えは第二次政権の時も変わりません。
球団フロントを経て監督復帰した93年9月8日の近鉄戦、1対1で迎えた9回裏、
一度空振りの判定からファウルに覆ったことに対し。「試合放棄」を口にします。
審判団の説得にも耳を貸さず、33分中断。最後は持田三郎球団社長の説得に大沢さんも折れ、
「オレが至らなくて申し訳ない。納得してやってくれるか」とナインに頭を下げて、試合再開。
この苦しい胸中は選手たちにも伝わり、「親分のためにも」と闘志を奮い立たせます。
時間切れ引き分け寸前の延長10回2死、選手会長の白井一幸さんが右越えに「生まれて初めて」というサヨナラHR!
首位・西武に0.5ゲーム差まで迫ったということがありました。
その他、施設応援団にも「これでうまいもんでも食え!」とご馳走してくれるなど、
最後まで情に厚い人物だったようです。
形は違いますが「かわいい選手たち」と自チームの選手を表するBIGBOSSにも通じる、
選手のモチベーションを上げるすべを持った方だったんだなぁと、改めて感じるエピソードの多い人物でした。
レバンガ北海道のホームゲームMCで培っている八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は『 球界の暴れん坊、大沢啓二 』
いよいよプロ野球のシーズンインが来週末25日に迫ってきました。
プロ野球ファンの方々は自分のごひいきチームに「喝!」「あっぱれ!」など様々な苦言や激励をしながら、
シーズン最終盤まで楽しまれることでしょう。
そんな「喝!」「あっぱれ!」・・他局ではありますが、
長らく務められた張本勲さんが発言されていたイメージがあると思いますが、
この言葉は一説によると元々その他局の番組のCM中に張本さんと共にご出演されていた大沢啓二さんが
「あのプレーは本当に喝!だなぁ」とつぶやいたことがきっかけで生まれたとか。
そんな「親分」と言われ非常に存在感のあった大沢啓二さんはご存命なら今日は90歳のお誕生日でした。
大沢啓二さん、本名大沢昭さんは1932年3月14日、神奈川県藤沢市出身元プロ野球選手で
現役時代は外野手をされていました。
プロ野球選手でもあった長男の清さんの影響などもあり、野球を始め、そのほか、
相撲、陸上などの他のスポーツでも秀でた才能を発揮していたこども時代だったそうです。
ただ、そんな大沢さんを語る上で外せないのが、暴れん坊伝説の数々です。
1945年、旧制中学の平塚工業学校に入学しますが、学校内外で暴力事件を度々起こした上、
地元で「大人のチンピラ」相手に喧嘩を起こし警察沙汰。これが原因で退学させられてしまいます。
ただ、1947年4月、長男の清さんの斡旋で、清さんの母校、神奈川県立商工高校に2年生として再入学。
兄に諭されたこともあって、この時から本格的に野球に打ち込むことを決心します。
しかし、迎えた3年生の1951年、夏の甲子園県予選2回戦で逗子開成高と対戦したときにパンドラの箱を開けてしまいます。
この試合では自信を持って投げたストライクゾーン付近の投球をボールと判定されたり、
確実にセーフだと思ったタッチプレーを二度もアウトにされるなど、球審の判定に不服を覚えていきます。
結局この試合は延長戦となり、最後はフォアボールの押し出しでサヨナラ負けを喫してしまいます。
問題はこの後です。
試合終了後、大沢さん、球場のトイレで偶然その審判と遭遇し、他の選手1名とともにその審判を蹴りつけてしまいます。
その結果、神奈川商工高は1年間の出場停止処分となってしまうんです。
ただ後日その後の大沢さんの運命を左右することが起きます。
大沢さんが蹴りつけた審判が大沢さん宅を訪れるんですが、そこで思いもよらぬ話をされます。
その審判員の方は自分が立教大学硬式野球部OBであると名乗った上で、
「君のような野球がうまくて元気のある選手が立教大学には必要なんだ」と、逆にスカウトされたというんです。
その熱意に打たれ野球推薦で立教大学文学部へ進学した大沢さんは、
東京六大学野球リーグでは1年春のリーグ戦から外野手として出場します。
ところが、明治大学監督の島岡吉郎さんが「出身高校が1年間の出場停止処分を受けているのに
大沢が出場しているのはおかしい」と異議を唱え、その結果、母校の神奈川商工の処分が解けるまでの間、
大沢さんも出場停止となってしまいました。
しかし翌1953年春季リーグでは優立教大学の初優勝を経験。
全日本大学野球選手権大会も、決勝で中大を下し初優勝。
その後は明大、早大の二強時代となり優勝には届かなかったものの、
リーグ通算94試合で、打率.255、2本塁打、32打点。ベストナイン2回の成績を収めます。
その功績が認められ卒業後の1956年、南海ホークスに契約金400万円、年俸120万円で入団します。
大学3年のときから、南海、大映スターズ、国鉄スワローズなどのプロ野球チームから
入団の勧誘を受けていたそうなんですが、4年生のときに南海の鶴岡監督から
「大沢君。南海ホークスはどうしても日本一になれない。
そこで、キミと長嶋君、杉浦君との3人の力を借りたい。俺を男にしてくれ」と懇願されます。
大沢さんは「俺を男にしてくれ」との言葉に感激し、南海への入団を決意したということなんだそうです。
実は大沢さんは喧嘩っぱやいところもある反面、人から頼られると「嫌」と言えない性格というか
むしろ「一肌脱ごう」という性格で、大学時代もスパルタ指導で有名な砂押邦信監督のあまりにひどい指導に
泣きついた後輩たちを不憫に思い、監督に意見するということがあったほど情には厚い人でした。
実は南海が大沢さんを獲得したのも、その情に厚い部分を評価し
先ほど出た2学年下の東京六大学のスターである杉浦忠さんと長嶋茂雄さんを
なんとか南海ホークスに入れるための「パイプ役」としての期待もあったようです。
結局杉浦さんは南海入りを果たしましたが、長嶋さんは巨人へ入団。
詳しいいきさつは省きますがこの時も「バカ野郎、今更そんな事言えた義理か」と
長嶋さんにすごんだという逸話残っているほどです。
そんな大沢さんですが、現役時代は非常にクレバーな外野手で、
今では当たり前となっている打者の打球傾向によって守備位置を変える、
また、ライト前ヒットの際に、ボールを拾ってからフェンスに向かって走り、
二塁でランナーをアウトにするというトリックプレーを見せたこともあるという
当時の外野手としては珍しいタイプの選手でした。
そして、実働10年の現役生活を終えた後ロッテの監督を経て、
1976年から日本ハムの監督に就任しますがこの監督時代にもエピソードに事欠かないのが大沢さんでした。
監督通算退場回数6回は日本歴代3位。
ですが、その理由がまたも大沢さんらしいもので、76年6月17日の阪急戦のこと。
日本ハムは4回、後頭部に死球を受けたウイリアムスが、
マウンドの竹村投手に向かっていこうとしましたが、大沢監督が必死に止め、事なきを得ます。
ただ、大沢監督「今度やったら、オレがお前のところに行くぞ」とくぎを刺します。
しかし、竹村投手は5回、今度は上垣内選手の左手にデッドボールが当たるとベンチから大沢監督が猛烈な勢いで飛び出し、
後ろから竹村投手の襟首を掴み、ポカリと殴りつけ・・大沢さんは退場になります。
その竹村投手なんですが、前年は11勝を挙げて、阪急の日本一に貢献しましたが、
この年は結局0勝3敗。翌年も移籍先の阪神で0勝1敗に終わり、戦力外。
そんな竹村投手に手を差し伸べたのも、大沢さんでした。
事件後、竹村さんをずっと気にかけ、「何とかしてやりたい」と翌春のキャンプで20日間テスト。
ただ、「個人の情としては採用してやりたいが、ウチの戦力として計算できない」と断を下し、
竹村さんも納得して現役を引退したということがありました。
そして、選手ファーストの考えは第二次政権の時も変わりません。
球団フロントを経て監督復帰した93年9月8日の近鉄戦、1対1で迎えた9回裏、
一度空振りの判定からファウルに覆ったことに対し。「試合放棄」を口にします。
審判団の説得にも耳を貸さず、33分中断。最後は持田三郎球団社長の説得に大沢さんも折れ、
「オレが至らなくて申し訳ない。納得してやってくれるか」とナインに頭を下げて、試合再開。
この苦しい胸中は選手たちにも伝わり、「親分のためにも」と闘志を奮い立たせます。
時間切れ引き分け寸前の延長10回2死、選手会長の白井一幸さんが右越えに「生まれて初めて」というサヨナラHR!
首位・西武に0.5ゲーム差まで迫ったということがありました。
その他、施設応援団にも「これでうまいもんでも食え!」とご馳走してくれるなど、
最後まで情に厚い人物だったようです。
形は違いますが「かわいい選手たち」と自チームの選手を表するBIGBOSSにも通じる、
選手のモチベーションを上げるすべを持った方だったんだなぁと、改めて感じるエピソードの多い人物でした。
毎日のあさミミ!アラカルト ラインナップ
毎朝6時30分頃からは、「あさミミ!アラカルト」と題して、パーソナリティが気になる話題、
パーソナリティの個性を生かした“耳をそばだてたくなる話題”をお届けします。
●月曜「八幡淳のスポーツプレゼンス」
北海道日本ハムファイターズのスタジアムDJ、レバンガ北海道のホームゲームMCで培っている
八幡淳ならではの目線と感覚で、臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題を伝えてます。
●火曜は「奈々子の朝から晩ごはん」
渋谷奈々子が、季節の「旬の食材」をテーマに毎週1品レシピを紹介します。朝イチからその日の晩御飯(晩酌)に役立つ情報をお伝えします。
●水曜「ナガイの北海道生活研究室」
アナウンサー生活32年と防災士資格取得で培った知識を活かし、
いまリスナーと共有したい「北海道の生活情報」を伝えていただきます。
●木曜は「北海道応援!あやサポ!」
上田あやがこれまでのレポーター経験や取材力を生かし、
北海道で頑張る「ひと」にスポットライトを当て、全力応援していきます!
●金曜は リスナー参加型企画「あさミミ☆リサーチ」
いま話題になっている事柄や季節の話題をテーマに、リスナーの皆さんからのメールと
ツイッターのアンケート機能を使って、道民がいまどう思っているか、どう考えているかを調査していきます。
★放送後はラジオクラウドで配信しています★
STVラジオ「ラジオクラウド」であさミミ!アラカルトの模様を配信しています。
アプリをダウンロードの上、ぜひお聴きください♪
STVラジオ「ラジオクラウド」であさミミ!アラカルトの模様を配信しています。
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《ツルハ ハッピーライフ 毎日笑顔!》
今週のテーマ「 NO MORE うっかり! 」
今週のテーマは、「 NO MORE うっかり! 」
季節の変わり目・年度の変わり目は気ぜわしくなりがち。
普段しない失敗やうっかりなどには気をつけたいものです。
皆さんからの「失敗・うっかりエピソード」を反面教師にしましょう!
お待ちしています!
今回も小学生夏休み作文コンクール2021~未来のボク・未来のワタシ~の受賞作品をご紹介しました。
各賞につきましては、STVラジオのイベント情報をご覧下さい!
季節の変わり目・年度の変わり目は気ぜわしくなりがち。
普段しない失敗やうっかりなどには気をつけたいものです。
皆さんからの「失敗・うっかりエピソード」を反面教師にしましょう!
お待ちしています!
今回も小学生夏休み作文コンクール2021~未来のボク・未来のワタシ~の受賞作品をご紹介しました。
各賞につきましては、STVラジオのイベント情報をご覧下さい!
テーマへのメッセージはこちらまでお寄せください。
メール:asamimi@stv.jp FAX:011-202-7290
ハガキ・手紙: 〒060-8705 『ツルハ ハッピーライフ 毎日笑顔』の係までお寄せください!
★毎週おひとりの方に、豪華花王製品詰め合わせをプレゼント
ハガキ・手紙: 〒060-8705 『ツルハ ハッピーライフ 毎日笑顔』の係までお寄せください!
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