令和四年度第1回番組審議会議事録
令和四年度第1回番組審議会議事録
1.開催日時
令和4年4月28日(木)
午後4時00分〜午後5時5分
午後4時00分〜午後5時5分
2.開催場所
札幌テレビ放送会館 アネックス7階 A会議室
3.出席者
委員数 6 名
[出席委員] 6 名
竹川 雅治 委員長
福津 京子 副委員長
桂田 聡志 委員
田村 望美 委員
番井 菊世 委員
木林 尚稔 委員 (リポート出席)
[会社側代表] 3 名
橋本 秀樹 代表取締役社長
平山 大策 編成制作部長
村上 安昌 プロデューサー
[事務局] 2 名
杉本 修 放送審議室長
岡嶋 勲 経営企画部 (書記)
[出席委員] 6 名
竹川 雅治 委員長
福津 京子 副委員長
桂田 聡志 委員
田村 望美 委員
番井 菊世 委員
木林 尚稔 委員 (リポート出席)
[会社側代表] 3 名
橋本 秀樹 代表取締役社長
平山 大策 編成制作部長
村上 安昌 プロデューサー
[事務局] 2 名
杉本 修 放送審議室長
岡嶋 勲 経営企画部 (書記)
4.議題
「STVラジオ開局60周年特別番組
ウイークエンドバラエティ日高晤郎ショーフォーエバー2022」
(4月3日(日)午後0時00分〜午後5時放送(審議対象 前半2時間部分)
ウイークエンドバラエティ日高晤郎ショーフォーエバー2022」
(4月3日(日)午後0時00分〜午後5時放送(審議対象 前半2時間部分)
5.議事の概要
令和4年度第1回番組審議会は、「日高晤郎ショーフォーエバー2022」を議題として開催されました。社側からの報告の後番組の審議に移り、各委員から以下のようなご意見ご要望を頂きました。
●『日高晤郎ショー』というのはどういう番組だったのかというのを追体験して、いい機会だったなと思います。追悼番組でもあり、しみじみしてしまったり、涙を流されたりという場面もありましたが、番組の核が「明日の一歩を」ということで、明るく楽しくやろうという構成になっていたのは、その人の人生を塗りつぶさないという意味で、とても大切なことだと思っています。
●晤郎さんの「頑張りすぎず、あきらめず、頑張りすぎず、怠らず」という言葉を今回初めて聴いたんですけれども、すごく良い言葉だなと思いました。私は自営業で、「この仕事は明日でいいじゃないか」とか「来週にしようか」とか、毎日戦っていますが、この言葉だけで「そうやって考えればいいんだ」ということが腑に落ちて、すごく楽になりました。本当に「言葉の力」はすごいなと思いました。
●『日高晤郎ショー』を何回か聴いたというレベルのリスナーとして、全体的に展開が早くて、特に晤郎さんの「語り」があるぐらいまでのスピードがものすごく早くて、何が何だか全く分からず、ついていけない状況というのが続いてしまいました。このスピードと、説明の少なさだと、かなりの番組のファンだったり、晤郎さんのファンでないと、ちょっと楽しめないのではないかなと、私のレベルでは感じました。
●放送回数が1820回もある中で、紹介するエピソードを選ぶというのは難しかったのかなと思います。その中でも当時のBGMであるとか、石田久美子さんの告知など、当時のことを思い出す要素として欠かせないものはたくさんありました。当時の自分の生活であるとか、『晤郎ショー』を聴いて感じていたことなどを思い出して、とても温かい気持ちになりました。
●喋り手さんの個性や層の厚さが、本当に安心して聴いていられるなと思いました。ラジオならではのことかと思いますが、島津亜矢さんに中継をつないだ時に、吉川のりおさんが一瞬、グッと感極まったところが伝わってきたのは素敵だなと思いましたし、湿っぽくならずに二人が当時を懐かしむ様子は、リスナーさんと一緒に共有できる素敵な時間だったなと思います。
●晤郎さんが亡くなってからの4年の間にいろいろなことが起きて、オリンピックやら戦争やら、晤郎さんならどういうふうに言うかなと思ったり、「(知床の)観光船のこととか、社会情勢のこととか晤郎さんなら何って言っただろうか?もうお話を聴けなくて悔しいな」と、いろいろな感情が交錯しながら聴いていました。あっという間でしたし、ラジオというのは、これだけ時間を贅沢に使って登場人物の人となりにゆったりひたれるという、とても魅力的なメディアだということを改めて思いました。
●吉川のりおさんの話ぶりから、日高晤郎さんへのリスペクトが番組全体を通じてひしひしと伝わってきました。緊張しながらも、日高晤郎さんに及ばないことを素直に打ち出して独特なトーンでゲストやリスナーの方と掛け合いされていたことは、とても面白く感じ、効果的に日高晤郎さんの在りし日の姿を思い出させるものがあったと思います。
●この番組は、少なくとも日高晤郎という人がどういう思いで当時の番組に関わり続けてきたのかということを、熱心な日高晤郎ファンでもない、私のように「ながら」で、ただ単に聴いていた人にも伝えていたのではないかという気がします。こう思ってみると、記念番組として企画された意味は十分あったのではないでしょうか。
続いて5月の単発番組、事業等の説明、聴取者からの声の報告等がなされ令和4年度第1回番組審議会を終了しました。次回の令和4年度第2回番組審議会は、令和4年5月26日(木)に開催を予定しております。
●『日高晤郎ショー』というのはどういう番組だったのかというのを追体験して、いい機会だったなと思います。追悼番組でもあり、しみじみしてしまったり、涙を流されたりという場面もありましたが、番組の核が「明日の一歩を」ということで、明るく楽しくやろうという構成になっていたのは、その人の人生を塗りつぶさないという意味で、とても大切なことだと思っています。
●晤郎さんの「頑張りすぎず、あきらめず、頑張りすぎず、怠らず」という言葉を今回初めて聴いたんですけれども、すごく良い言葉だなと思いました。私は自営業で、「この仕事は明日でいいじゃないか」とか「来週にしようか」とか、毎日戦っていますが、この言葉だけで「そうやって考えればいいんだ」ということが腑に落ちて、すごく楽になりました。本当に「言葉の力」はすごいなと思いました。
●『日高晤郎ショー』を何回か聴いたというレベルのリスナーとして、全体的に展開が早くて、特に晤郎さんの「語り」があるぐらいまでのスピードがものすごく早くて、何が何だか全く分からず、ついていけない状況というのが続いてしまいました。このスピードと、説明の少なさだと、かなりの番組のファンだったり、晤郎さんのファンでないと、ちょっと楽しめないのではないかなと、私のレベルでは感じました。
●放送回数が1820回もある中で、紹介するエピソードを選ぶというのは難しかったのかなと思います。その中でも当時のBGMであるとか、石田久美子さんの告知など、当時のことを思い出す要素として欠かせないものはたくさんありました。当時の自分の生活であるとか、『晤郎ショー』を聴いて感じていたことなどを思い出して、とても温かい気持ちになりました。
●喋り手さんの個性や層の厚さが、本当に安心して聴いていられるなと思いました。ラジオならではのことかと思いますが、島津亜矢さんに中継をつないだ時に、吉川のりおさんが一瞬、グッと感極まったところが伝わってきたのは素敵だなと思いましたし、湿っぽくならずに二人が当時を懐かしむ様子は、リスナーさんと一緒に共有できる素敵な時間だったなと思います。
●晤郎さんが亡くなってからの4年の間にいろいろなことが起きて、オリンピックやら戦争やら、晤郎さんならどういうふうに言うかなと思ったり、「(知床の)観光船のこととか、社会情勢のこととか晤郎さんなら何って言っただろうか?もうお話を聴けなくて悔しいな」と、いろいろな感情が交錯しながら聴いていました。あっという間でしたし、ラジオというのは、これだけ時間を贅沢に使って登場人物の人となりにゆったりひたれるという、とても魅力的なメディアだということを改めて思いました。
●吉川のりおさんの話ぶりから、日高晤郎さんへのリスペクトが番組全体を通じてひしひしと伝わってきました。緊張しながらも、日高晤郎さんに及ばないことを素直に打ち出して独特なトーンでゲストやリスナーの方と掛け合いされていたことは、とても面白く感じ、効果的に日高晤郎さんの在りし日の姿を思い出させるものがあったと思います。
●この番組は、少なくとも日高晤郎という人がどういう思いで当時の番組に関わり続けてきたのかということを、熱心な日高晤郎ファンでもない、私のように「ながら」で、ただ単に聴いていた人にも伝えていたのではないかという気がします。こう思ってみると、記念番組として企画された意味は十分あったのではないでしょうか。
続いて5月の単発番組、事業等の説明、聴取者からの声の報告等がなされ令和4年度第1回番組審議会を終了しました。次回の令和4年度第2回番組審議会は、令和4年5月26日(木)に開催を予定しております。